前回の掲載からかなり日が経ってしまいました。どうしたのかと心配された方もあったようで、申し訳ないなと思っています。夏の猛暑もありましたが、要するに怠けてしまったという次第。涼しくなってもきましたのて再開することにします。
1998年に、私は関西大学から2度目の海外研修の機会が与えられた。62才であった。フルブライト委員会からの招聘をいれると、3回目の海外生活となる。
1994年に新設の総合情報学部に移籍し、新しい学部運営と大学院作りに時間をとられて、海外に出る機会がなかったが、98年に大学院修士課程の設立を終え、院生の1期生を迎えて、一息つける状態になった。規程から言えば6ヶ月が与えられるはずが4ヶ月となってしまったが、休暇がとれるのはありがたかった。大学生活最期の海外研修である。
まずヨーロッパに向けて出発。コペンハーゲン、ベルリン、チューリッヒ、インターラーケン、ジュネーブを経てパリー、ロンドン。そしてコペンハーゲン経由で11日に成田経由で伊丹に帰国し、いったん名張市桔梗が丘の自宅に戻る。荷物の中味を夏物から冬物へと入れ替え、2日間を自宅で過ごして再び14日に関西国際空港からシンガポール経由でニュージーランドに向けて飛び立った。何とも忙しいスケジュールであった。
まずヨーロッパ旅行での出来事をいくつか書きとめておきたい。2週間の旅であったが、これには家内の妹が同伴したいという希望があって、私たち夫婦も受け入れて、3人の旅となった。自分で予定を立てチケットやホテルを予約して自分たちの旅行をすることになった。こうした経験は、1985年のアメリカ留学の時に家族を招いて、アメリカ東部を巡る家族旅行をして以来である。ツアーなら添乗員がすべてやってくれることを私が全部やることになった。
ヨーロッパでのいくつかの印象を書き残しておきたい。私の専門の関係でイギリスのBBCは是非見学しておきたかった。放送局見学は、ロンドンとベルリンで済まし、パリーでは、前もって頼んであったフランス大使館の通信関係専門官からヨーロッパ全体の説明を受け、資料を用意してもらった。ベルリンの壁崩壊後のベルリンは是非見ておきたいと思っていた。東西が自由に往来できるようになって、そんなに日も経っていなかったので、東ベルリンの街を歩き、戦争の傷跡を見て回った。
旅には失敗がつきものだが、BBCの見学で、チケットを買って中に入り、女2人がトイレに行きたいと行って、勝手に探しに出かけた。暫くすると、非常ベルが鳴って、私は何事かと驚いたが、ドアーの向こうからやってきたのは、女2人とBBCの警備であった。関係者以外立ち入り禁止のドアーを女2人は平気で開けて入っていったのであった。持参のチケットが証明書になったらしいいが、一瞬あやしい女とみなされたらしい。
ベルリンでタクシーに乗ったら、英語を話す青年が運転手だった。大学を出たんだけど仕事がなくて、今はドライバーというわけだと言いながら、私たちが日本人と分かると、日本の政治や経済のことを、これだけ知っているとばかりに話をしてくれた。博士の運転手だった。
ベルリン郊外にポッダムがあり、「ポッダム宣言」がどんなところで採択されたのか、これも見ておきたかった。電車の駅で降りたったら英語でポッダムのガイドを呼びかけているので、これは英語でガイドをしてくれるのかと思ってチケットを買った。時間が来てバスに乗り合わせると、先ほどの中年のガイド嬢は、ドイツ語を話している。そこで初めて気がついた。ガイドは全てドイツ語でなされるのだと合点した。これは困ったものだと思ったが、バスは出発、2時間ぐらいだろうか、ずっとドイツ語を聞くはめになってしまった。
ベルリンで電車のチケットを買うときだった。自動販売機であったが、種類がたくさんあって、どのボタンを押してよいのか分からないので、チケットを買う人を捕まえては、英語で訊いてみる。英語が通じない。大学時代にならったドイツ語を必死に思い出して並べてみるが、急いでいる人は誰も相手にしてくれず、英語ならそのうちに分かる人も出てくるだろうと、英語で話しかけていると、学生風の男性がやっと応えてくれた。
ドイツだけでなくヨーロッパ全体がそうなのかと思うが、買ったチケットは、ホームに置かれた改札機、と言っても切符を差し込んでパンチが入るだけで、人は誰もいない。と言っても日本のようにチケットやカードを差し込んで流す自動改札といったものではなく、短い柱のようなものが立っていてその上に切符を置くだけの素朴な機械である。検札は車内でやるようであった。
皆がしているように私たちも真似をして切符にパンチを入れ、さてそれからだが、乗り場が分からずキョロキョロ、通りがかりの人に聞く。教えてもらったが、間違った方向に行きかけた。教えたドイツ人のおじさんは、心配してまた追っかけて教えてくれる。後を振り返ると、私たちが然るべき電車に乗るまで見送ってくれていた。親切な人であった。
こんなことがあった。2両連結の路面電車がきたので、後ろの電車にのったら、乗務員は誰も乗ってない。降りて駅で払うのかなと思って、目的地で降りると駅には誰もいない。他の人々を見ていると、予めパスなり回数券でも持っているのだろうか、乗務員も駅員も関係なしに乗ったり降りたりしているのである。結局私たちはただ乗りしてしまったわけだ。後で思ったのは、チケットがない場合は先頭の運転手から買わねばならないということで、先頭車の前に乗るべきであったわけである。
無人改札であろうと、無人車であろうと、市民は払うべきは払うというモラルが行き渡っているのであろうか、何とも鷹揚な感じを受けた。日本の自動改札や販売機が、実にきめ細かく作られているので感心する。誤魔化しができないように精巧に作られているので驚くわけである。日本もローカル線になると無人駅が増えた。電車のドアーも駅によって開閉がまちまちになる。自動化はややこしい。言葉が分からないとどうするのかと思ってしまう。