第61回 「漫才台本の意義」の講義

 漫才台本を1本も書いたことのない私が、「漫才作家育成」の塾の講師として講義をすることになった。私の漫才論が役に立つならばと講師を引き受けた。
 「NPO法人上方演芸研進社mydo」(理事長・林千代、2006年3月設立)が主催して「平成笑の会アカデミー」の名称で、漫才台本作家育成の塾を始めたのである。実は私自身もそのNPO法人の理事の一人であるので、賛同した企画である。喜味こいし師匠を塾長として、漫才作家やテレビ局の元プロデューサー、評論家などが講師に招かれた。
 2007年の11月20日(火)にスタートして翌年3月22日に終了した。毎週1回夜に1時間半の講義18回で、私はそのうち3回話す機会があった。場所は「ワッハ上方」の視聴覚ライブラリーを臨時の教室にしてものであった。
 漫才作家育成と言っても、それだけを目的にする事業では生徒が集まりにくいであろうという判断から、そうでない人でも「しゃべくり漫才」の作法を学んでもらおうと門戸を少し広げて募集を行った。
 「私達が目指す人と人のコミュニケーションの基本となるのは笑いのある楽しい“しゃべくり漫才”です。プロの漫才作家、漫才師を目指す人から、家庭や職場での円滑なコミュニケーションづくりを身につけたい人に、笑いの創造・ネタの創り方・テクニックを自作・自演しながら学んで頂きます」というのが募集の趣旨である。
 約20名程度の定員を想定し、入学金や受講料など、普通の趣味講座などより高いものであったが、30名を越える受講生が集まった。名古屋から通う熱心な人もいた。私の3回の講義は、いずれも欠席者なく、大学と同じ90分授業であったが、私語なく居眠りなく、熱心な生徒たちで、こちらがびっくりしたぐらいである。学生風の若い人もいたし、退職後の高齢者も混じっていたが、総じて年齢層はバラエティに富んでいたような気がした。
 この種の「しゃべくり漫才」の手法を普段のコミュニケーションの場面で考えるというのは、「ボケ・ツッコミ・コミュニケーション論」とでも言えるもので、そうした発想で考えるのもよいのではないかと思った。
 講師依頼を受けた時に、大体どんな話をするかのアイディアが浮かばなかったなら、直ちにお断りをしていたと思うが、浮かんだものがあったのである。私が過去に試みた「漫才の8類型」のことを思い出したのである。漫才の笑いを引き起こす手法のタイプとして8類型があることを私は発表していた。
 あれを発表したのは、当時の新聞記事や講演は別としても、公にしたのは、『漫才~大阪の笑い~』(世界思想社、1981)の中においてであった。2007年の講義に使うとすると、26年が経っていることになる。この長い間に、次から次へと起こる若手の漫才を見てきて、私は、「8類型論」を変えてみようと思ったことは一度もなかった。むしろ漫才8類型は、私自身が漫才を判定する際の「めがね」になっていたと思われる。私の漫才鑑賞に結構役立ってきたわけである。
 この「自伝風エッセイシリーズ」の第44回で「漫才の笑い」について書き、そのなかで8類型については説明をしているので、ここでは、第1日目に話した「漫才台本の意義」について書き残しておこうと思う。台本というのは、演劇でも映画でもそうだが、読んで面白くても、演者や舞台によってまるで違ったものになってしまう。
 漫才とて同様で、読んで面白かっても、面白い漫才が演じられるとは限らない。漫才はとりわけ人物の「地」、「素顔」「生身」「キャラクター」「かけ合い」に左右されるところが大きい。とは言え、地のキャラクターがいくら面白くても、それに話芸がプラスされてこないと、すぐに飽きられる。当たり前のことである。舞台で15分から20分、観客から面白いと思われるためには、どんなキャラクターの人であろうと、話芸が必要で、身にあった「ボケ・ツッコミ」の会話を交わさなければならない。会話はさまざまであるが、一定のテーマやシチュエーション、物語を運ぶために会話が用意される。漫才師は、試行錯誤を重ねながら自分たちに合った流儀によって会話をはずませるが、基本になる会話がないことには、流儀に合った会話の積み重ねも、無意味に流れてしまう。「基本になる会話」は台本によって用意される。台本が面白く、すぐれておれば、そのバリエーション、キャラクターの味付けも生きるのである。
 ダイマル・ラケットの漫才では、台本が保存されていなかった。ダイマルがテーマや物語を用意したが、それは何回も何回も舞台にかけて完成させていったと言う。最初にダイマルの描いた台本があり、それを基に観客の反応を見ながら、余分なところは削ぎ落とし、エッセンスを残して作っていったと言う。
 やすし・きよしの漫才に「同窓会」というのがあるが、台本の提供者は織田正吉氏である。しかし、織田氏によれば、舞台で演じられる「同窓会」には、台本の上にやすし・きよしの工夫が随所に入っていたと言う。
 人生幸朗・生恵幸子の「ぼやき漫才」では、舞台では人生幸朗その人が大声でぼやいているように見えたが、それには台本作家によって書かれた原稿があったのである(台本は上方演芸資料館「ワッハ上方」において保存されている)。練られた台本があればこそ、幸朗・幸子のキャラクターが生きて、「ぼやき漫才」は面白かったのである。
 新人の場合だと、自分の体験や生活のなかからネタを集めることになるだろう。デビューして暫くはそうした身近なネタで何本かは作ることが出来るが、自分の世界を離れて題材を広げ、新作を作って行こうとすると、台本作家とコンビを組むケースが出てくる。
 瞬間的なギャグが受けて、後はその連発で通す人がいても、飽きられるのは早い。断片的ギャグは一過芸としてあっても、持続が難しい。
 漫才師が直感的に感じ取るサムシングも大事であるが、一方でその直観を生かした物語やテーマに客を乗せて行く持続の漫才には、「笑いの方法」に長けた台本作家が必要となる。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください