第53回 落語寄席の魅力

 2006年9月15日、大阪の天満に「天満天神繁昌亭」が開席した。約60年ぶりの復活と言われている。(社)上方落語協会と天神橋筋商店連合会とが協同して、天満に落語の定席を作ろうという計画を立て、市民、民間団体からの寄付を募って実現をみたのであった。『上方芸能』の163号(2007年3月)が、「繁昌亭」の大特集号を組んで、各界の喜びの声を伝えている。私も簡単な「期待と提言」を書かしてもらった。
 客席は2階席も入れて200席程度であるので、こじんまりした感じがあって、一番後ろでも見やすいし聞きやすい。地下鉄南森町から商店街を通って天満天神さんの裏手に出る。歩いて3分ぐらいか、駅から近いが、天神さんの裏手でちょっとひっそりとした感じがあって、私は良い雰囲気だなと思った。寄席としては、北や南の繁華街のど真ん中にあるよりもよいのではないかという気がした。
 「天満天神繁昌亭」のことから、私は1972年(昭和47)に始まった「島之内寄席」のことを思い出していた。上方落語協会が島之内教会を借りて、毎月5日間の興行を行ったのである。六代目笑福亭松鶴師匠が先頭に立って観客を誘導していた姿を思い出す。どんな寄席であったのか、当時の私のメモを繰ってみた。私はその年の8月に行っている。
 暑い盛りの頃であった。切符売りから下足番、おしぼりのサービスまで一切を噺家たちが担当していた。赤いちょうちんの灯りを横にして中に入ると、「いらっしゃい!」の掛け声に迎えられ、木札と交換に靴を預けて440円の入場料を払う。中へ入って行くと「冷やしあめをどうぞ」のサービスを受ける。つめたいのをグッと飲むと、一瞬汗がひく思いで、思わずうまいなあと声がでる。客席は畳で小さな座布団を尻に当てる。会場は暑かったので窓を開け、両側に扇風機が1台ずつ置かれていた。客は圧倒的に20歳位の若い人が多く、ところどころに年配者の姿が見えた。ざっと200人ぐらいが入っていただろうか。むんむんする暑さにもかかわらず、拍手が入り笑いが入り、場内の空気は絶えず揺れ動いている。中入りにはおしぼりのサービスがついた。つめたいタオルで顔を冷やして気分を変える。帰りは木札を出して「にの十番さん」などと言う大きな声と引き換えに靴を受け取る。外では、会長の笑福亭松鶴師匠をはじめとして、当日の出演者一同がずらりと出口の両側に並んで「ありがとうございました。またどうぞ」と声をかけている。真近に噺家の顔を見て、客たちは満足そうな笑顔をして「さいなら」と帰っていく。
 そして私はこんなコメントも残している。安い料金で、午後6時から9時半頃まで、これだけ長く楽しませてくれる場所は他にないのではないか。2月に始まった定席が毎月5日間とは言え、かなりの客を動員し、フアンがついてくることになったのも、もっともなことと思われる。場のやわらかい雰囲気が大変気持ちよかった、と書き残している。
 教会で演じられた「島之内寄席」は、単に噺を聞く空間というのではなく、客が入場するところから帰るまでを一つの空間として、その全体を楽しんでもらう、つまり寄席情緒の再現に努めたのではなかったかと思う。
 もうひとつ遡って、大正時代の寄席風景がどんなものだったかを振りかえってみよう。と言っても文献に頼るしかないのだが、『上方はなし』」(五代目笑福亭松鶴編、復刻版、三一書房)第1集に1918、9年(大正7、8)頃の寄席風景が書かれている。「その頃、寄席へくる客はそれぞれ落語家の得意はなしをよく心得ていて、高座へ出てきてすわれば、とたんに客は威勢よく声張り上げて落語家へはなしの注文をしたものだ。たとえば松鶴が出ると『ひやかしい』(注・「新町ぞめき」のこと)だとか、『天王寺ッ』。円枝だったら『首つりッ』(注・「夢八」のこと)、染丸であったら『電話ッ』、蔵之助は『飴金ッ』というふうに。すると落語家は『ヘイ、ヘイ』とこたえて、客より注文された『はなし』をしゃべり出す。もしそういう場合、客の『はなし』の注文が雑多にわたる時は中を採って、どの『はなし』の注文客へも当たり障りのない『はなし』を落語家自身が選定し、語り出すのであった。以上のようなまことに和やかな客と落語家が一体になった寄席風景」(中西美津夫「寄席の今昔」)なのであった。
 平成の寄席には、そうした大正の寄席は最早ない。落語家に注文を出す客は、かなりの落語通だったのか知れない。今日の舞台では、客との間にそれほどの密着度があるとは思えない。「繁昌亭」に見える客には、一度は行っておこうと物珍しさで顔を出している人もいるであろうが、落語に興味をもっている人が見えているような気がする。広く言えば落語ファンである。
 今日のテレビは希にしか落語を写し出してくれないし、落語を見たことがないという若者もいるぐらいである。落語は、専らホール落語で頑張らねばならない状況があるが、落語専用の寄席小屋ができたということは、少なくともそこへ行けば落語が見られるということで、意義深いことである。寄席の収入は微々たるものであろうが、ここが落語の根拠地であって、ベテランも新人もここから先ずは情報を発信するのだという心意気が感じられる限り、客足は落ちないと思われる。
 落語寄席の面白さは、ベテランの噺だけできまるものではない。各演者のキャラクター、時事や世相をネタにした枕、新作も大事である。それらが総合的に進行して行くと、寄席全体が面白いということになる。この寄席空間の全体の面白さは一人の落語家で作れるものではない。全員の舞台に賭ける意欲と熱意があって実現するに違いない。
 ファンは、いろんな場所で落語に接するだろうが、「繁昌亭」が根拠地なんだというイメージができてよいと思う。暫く足が遠ざかると、「繁昌亭にもいかんとな」という気持ちを起こさせる。そうなっていけばよいがなと思っている。もう3回行った、4回行ったとか、もう何回行ったやろと言う友人もいる。平成の寄席はどんな寄席空間になるのであろうか。

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