私たちのフルブライト招聘は、夫婦同伴でキャンパス内で住むことが条件となっていた。妻が仕事を持っていて同伴してくれていなかったら、私のフルブライト招聘は実現していなかった。妻の専業主婦のお蔭であるが、妻からすれば、英語からは全く遠ざかった生活であったから、同伴すると言っても度胸をきめなければならなかったと思う。しかし、2度目のアメリカ訪問であるから、どんな生活になるか大凡の見当はついていたので、腰を上げやすかったとは思う。
妻なりに準備が大変であった。キャンパス内の住宅だから、自宅に来客があるだろうし、その時のために日本の食事やおやつの材料を用意しなければならない、ということで何を持っていくか、日本の香辛料まで含めて、いろんな材料を用意した。まさに日本文化の香りを伝えようという意気込みであった。
アメリカでは、私達は教室にも近くて裏庭もある2階建ての一戸建ちを与えられた。キャンパス全体も、そんなに大きくなかったので、学生も教員も気軽に立ち寄ることができるところに位置していた。
私の授業は「日本の社会と文化」がテーマであったから、その一環として「日本の料理」の時には家に学生たちを招いて実際に食べてもらった。持参した材料を使って、できるだけバラエティーに富んだ日本の食べ物を紹介した。巻きずし、にぎり、ばら寿司、おにぎり、うどん、天ぷら、焼き鳥、みそ汁、こんぶ、梅干し、漬け物、めざし、するめ、ちりめんじゃこ、ようかん、おかきなど、それに煎茶、抹茶、番茶などのお茶も用意した。食事のときは、もちろん箸を使ってもらった。
ちりめんじゃこのあの小さな目がこわいという学生がいた。これには驚いたが、また何でも大胆に食べる学生もいた。彼らにとっては、初めての食品ばかりで、反応はさまざまであったが、全員が一様に美味しいと言ったのは天ぷらであった。料理や味には、文化の違いがよく現れており、その違いの実際を体感してもらったわけである。この食べ物教育は好評で日本への関心を一段と高めたようであった。
ある教授夫妻を招いたときであった。家内が天ぷらを揚げて熱々を食べてもらおうと台所とテーブルを行ったり来たりしていて、テーブルに就かないことがあった。ゲストはそれが不思議で、どうして席に座らないのかという。天ぷらを美味しく食べてもらうには、揚げたてをこうして食べてもらうのが一番なのだと説明すると、なるほどと納得する。
帰り際の挨拶になり、玄関のところで相手の主人は私の家内を抱きかかえて軽く頬をすり寄せる。家内は自然とその挨拶を受けている。私も反射的に同じ事を相手の奥さんにすればよいのだが、それができなくて気まずい間ができてしまった。奥さんの方から小声で「May I hug you ?」と言われてしまう。
ある日、一人の男子学生が玄関のドアーを開けて入ってきた。私は奥の食堂にいたので、入ってくれるように手招き(手の平を下にして)をして、中に入って来るようにと合図をした積もりだった。ところがその学生は私の手招きを見て、後戻りして出て行こうとしたのである。私は慌ててとんでいって、どうぞ入って下さいと告げた。訊いてみると、手の平を下にする手招きは、あちらに行けという意味になるというのである。アメリカでは、こちらへと呼ぶときは、手の平を上にするというのであった。なるほどこれも文化の違いだと知る。しかし、一瞬その学生は不愉快に思ったに違いない。入ってきたらいきなり出て行けと合図されたわけだから、何と失礼な奴だと思ったことであろう。説明して理解し合い、私達は笑って誤解を解いたのはもちろんである。
国が違えば、文化の違いがあることをよく心得ておかなければならないし、誤解が起こったら先ずはよく説明することが大切だ。そのままで済ますと、誤解がふくれ上がって悪感情が増し、敵対の関係に発展しかねない。
頭のなかでは分かっていても、咄嗟にはなかなか反応できないことがある。大学の廊下のドアーは、冷暖房の関係もあって、とにかく分厚くて重い。男女が一緒に歩いているときは、男性が先ずドアーを引いて開け、女性を先に通す。私は開けるとつい自分が先に入ってしまう。家内がそのことに気付いていて、一緒に歩いているとき、何度か注意を受けるがなかなかなおらない。男性教員と女子学生との関係でも、教員が女子学生を先に通していたし、エレベータの乗り降りも同様であった。
私たちは夫婦同伴であったので、大学の教授や地元の日米友好協会の関係者達から、自宅や会合に招待される機会が多かった。もし私が単身であったとしたら、おそらく招待されなかったのではないかと思われた。というのは、どのパーティでも、出席者は夫婦であれ恋人、友人であれ、カップルが条件になっている感じなのであった。ある大学の教授が言っていたのだが、奥さんが勤めを持っているので、こうしたパーティが会社であると、僕がついて行かなければならないし、お互いに忙しいんだよ、ということであった。パーティは確かにカップル文化になっているのだなと納得した。
パーティで感心したのは、パーティが確実に交流の場として活用されているということであった。見知らぬ人同士が、積極的に自己紹介して相手に接近していくのはマナーのような感じであった。
クリスマスになって、いくつかのパーティに招待される。もちろん夫婦同伴である。ダンスが始まると、男性が女性を誘うことになる。しかし、私は踊りができないので、テーブルに腰掛けたままであったが、家内を誘う男性が現れる。家内がそんなにダンスができると思っていなかったが、誘われると、ためらうことなくさっと出て行って踊り出したのである。私は見ているしかなかったのだが、家内の話では、男性のリードがうまいので、からだが勝手に動いて踊りやすかったという。家内からすればアメリカはとても居心地がよかったようである。