第51回 ライシャワー博士夫妻と出会う

 フルブライト客員教授での経験から得たものは多かった。ロックハースト大学は、私を教授会メンバーの一人として迎えくれていたので、教授会にも出席の機会を与えられた。投票の場面にも立たされて棄権をした覚えがある。黙って座っておればよいのだと思っていたある日のこと、議長が、突然私に日本の教授会とどこが違うかね、と感想を求めたのであった。咄嗟のことで驚いたが、普段から別に変わったこともなく、教授会というのは似るものかなと思っていたので、思っていることをそのまましゃべってしまった。「議論する人はいつも議論するし、結論がなかなか出なくて時間がかかりすぎる。日本でも同じだ」と。会議は大笑いになった。
 私が経験したアメリカの大学では、単位を買って履修科目を決めるというようになっていた。学生は1セメスターで取得したい科目の合計単位数を計算してお金を払い込む。従って、日本のように多い目に履修科目の申込をすることはない。授業が始まると、先ず出席して講師と授業の内容をよく吟味する。不適切ならすぐにキャンセルすると、払い込んだ授業料が全額戻る。キャンセルが遅れると返却率が悪くなる。一ヶ月間がそうした選択期間に当てられ、選ぶ側と選ばれる側とが真剣に向かい合うことになる。こういう仕方が、学生の授業を受ける動機づけを高くしていることにつながっているのであろう、授業中の質問も活発であったし、私語で授業を妨害する学生も生まれない。
 私の授業は16人の学生で落ち着いた。毎回名前を呼んで出席をとっていた。事務から中途で出席表の提出が求められるので用意しておかなければならなかったが、「これは新任の先生については全員行っているもので、あなただけに求めているものではない」とことわりがあった。
 今日では、日本でも「学生による授業評価」の制度は当たり前のこととなってきたが、
私はアメリカで初めて経験したのであった。最後の授業の残り20分程度をさいて行うのだが、教員はさっさと教室を出て行ってしまい、学科長と事務員が入ってきて、注意を与えて回収して持ち帰る。担当教員は一切関与なしである。そして、その結果は、後ほどまとめられて図書館で閲覧できることになっていた。長年続けてきた制度なのか、慣れた手つきで淡々と行われている風であった。
 学科長に「授業評価」の扱いを訊いたら、担当教員の教授法の改善に利用してもらうが、先生の人事評価にも使うということであった。短期的な使い方はしないが、「悪い」評価が何年も続くのは問題にすると言っていた。先生の契約更新に影響するということであろう。 
 日本では「人事評価」に使わないということで「授業評価」の導入があったわけで、彼我の違いは大きい。その大学では、学部人事は学部長が扱う仕組みで、それなら学部長が「授業評価」を参考にするのは当然ということになる。
 日本の場合、アメリカの大学から似た制度を輸入するが、全体の仕組みが違うから、一部だけを切り取って輸入しても、中味が全く違ってしまい、利用のされ方も違ってしまうというケースが多い。「セメスター制」というのもその例ではないか。春学期と秋学期を独立させ、その間の夏休みに「サマー・セッション」を入れて、春学期で単位を落とした人や単位数を増やさないといけない人や留学生など、救済手段を講じる授業を行っていた。この授業の担当は正規の教職員が当たっていた。セッションを挟むことでセメスター制が生きるということになっていたと思うが、日本には「サマー・セッション」がない。
 ロックハースト大学では、新入生歓迎行事の一つに、教員が食堂で給仕の役をして学生に接するというサービスがあった。白いエプロンと山高の帽子をかぶった教員が横並びになって、学生の注文を受けて各自の皿に盛っていくのであるが、ここで新入生と笑顔と笑いの挨拶を交わす。アメリカ的なのかも知れないが、私もやってみたが、わいわいと楽しい経験であった。
 3月に入ってある日突然バージニアにあるスィート・ブライアー・カレッジ(Sweet Briar College)という大学から研究室に電話が入った。まずフルブライターであることの確認から、ついては大学主催の国際シンポジウムに参加してくれないかというのであった。毎年、国際会議を開催しており、今年は「日本の現代文化」をテーマにして、コーディネーターに元駐日大使のライシャワー博士、他にはコーネル大学とハワイ大学の日本問題研究者を予定しているという。これは大変だと思いながらも、声をかけて下さったのだからということで、やってみるかと引き受けてしまった。
 4月11日に家内同伴で出発。バージニアまでの2泊3日の小旅行となった。立派なゲストハウスに到着して案内を乞う。早速寝室と食堂の案内があった。私達のためのアテンダントも決められていた。
 第1日目は、広大な緑のキャンパス内を車で見学し、夜は学長からのディナー招待で、夫婦同伴でスタッフの顔合わせが行われた。宿舎に戻ってから、私はシンポジウムに備えて用意してきた40分スピーチの最終チェックを行った。私のテーマは「日本の現代社会とテレビジョン」であった。
 翌朝、食堂に出向くと、ライシャワー夫妻の姿が見えた。初対面であったが、私達の方から挨拶をする。奥さんは日本語での応対であったが、ライシャワー博士自身は、脳を患って快復はしたが、日本語を使うのがつらくなって英語だけになってしまったという。2日目は、日本をテーマにした国際学会の日ということで、大学全体が「日本の日」とされ、昼の食堂は日本料理一色で、箸が用意されていた。確か照り焼きにした魚料理だったと思う。一見日本で見るような感じだったのだが、食べてみるとまるで味が違っていた。ライシャワー博士は「これは日本料理じゃないよ」と言う。「料理長が日本料理の本を読んで作ったのではないか」という感想であった。私もなるほどそうかもしれないなと思う。でも、「日本の日」を演出しようと頑張ったアメリカ人料理長に敬意を表したいと思った。
 午後からシンポジウムで、ライシャワー博士がコーディネーターで、一人40分づつ、3人が報告して、ディスカッションを交わすが、私が日本では、出版点数では漫画が最高で、若者の間では漫画文化が盛んで、源氏物語も枕草子も漫画になっている、という報告をしたら、どうして「Cartoon」が盛んなのかが理解できないと、ライシャワー博士から質問攻めにあってしまった。ライシャワー博士が、「Cartoon」に対してネガティブな評価であるのに対して、私が古典文学すら漫画にしてしまう「漫画」の積極性について語ったので意にそわなかったのであろう。

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