仮住まいのホームステイは3週間で終わったが、その間も、大学が予め組んでいた歓迎会や講演、学内新聞、地元新聞の取材などを矢継ぎ早にこなさなければならなかった。私はどうしてこんなに注目されるのかが分からないでいた。世話になっているウルスラ・ファール博士(大学の教員で、ホームステイの主婦)に訊いたら、私が「フルブライト招聘教授」であるからだという返事であった。
アメリカ時間で2月17日に着いて、28日には、大学あげての歓迎夕食会が開かれた。私たち夫婦がメインテーブルに就く。こんな経験は結婚式以来の経験で、問題は食事が終わってからのスピーチであった。一応原稿は用意したのだが、読み上げるわけにもゆかないなと思いながらワインを飲んでしまい、少しアルコールがまわって、腰が据わってしまい、却って上手くいったようであった。
大学関係者においては、第二次大戦後に設けられた「フルブライト交換留学制度」を知らない人はなく、アメリカからもこの制度によって日本に派遣されている研究者も大勢いて、「フルブライト」と言えば、もうそれでどんな人物かが理解されるようであった。
大学で出会う教職員から、「何の目的できたのか」「どこから来たのか」と訊かれても、一言「フルブライトで」言えば、全てが了解された。日本のどの大学からどんな目的でと、あれこれと説明する必要が省けたのである。
地元の『カンサス・シティー・スター』という新聞で、そこの記者が私の歓迎夕食会に招かれていた。フルブライトで日本に行ったことがあるという。そんなところから、新聞に興味があるなら訪ねてこないかと誘われる。私はメディア研究の点からしても、これはチャンスと思って訪問を約す。
後刻、約束通り訪問すると、昼飯でもということになり、近くのレストランで昼食をご馳走になった。自分もジャーナリストのフルブライト留学で、家族と共に東京で半年暮らして、東京の新聞社の人々に世話になったという。ここでは僕がおごるよというわけである。昼から編集者会議を開くから、興味があれば傍聴してもよいよと誘ってくれる。公開しない内部の会議なのにかまわないのかと尋ねると、新聞が出るまで黙ってくれていたらいいよと笑って言う。傍聴したのはもちろんだが、フルブライトの肩書きがいかに信用されているかを実感する。
私の「日本の文化と社会」の講義は秋のセメスターからの開講で、到着早々は「グローバル・スタディーズ」という科目の客員教授ということで、二人のアメリカ人先生が教える授業に同席して、時々コメントをするという立場を与えられた。私を同席させたのは、秋に備えて授業の進め方や試験の仕方、学生の態度などを予め勉強させておこうという配慮だったと思われる。
学会で二人の教授が1週間出張することになったが、休講はせず、私に代講をしておいてほしいと言う。週2回の授業だったので2回の代講がある。こんな仕事が舞い込むとは全く予想していなかったのだが、頼まれたら出来ませんとは言えず、「やってみるか」と観念する。「グローバル・スタディーズ」の科目は、国際政治学のようなもので、私は日本国憲法の第9条の話(英訳文を用意していた)と日本の放送事情について話をした。クラス全員のアメリカ人学生が自衛隊をアメリカの軍隊と同じと思っていて、条文を読み上げたら、初めて知ったと非常に驚いていたのを覚えている。
私は秋からの講義の準備を始めだした。出発前に日本紹介の英語本を何冊か物色していたが適当なものが見つからなかった。到着後どんな学生が受講生かと訊けば、日本についての知識は殆どなく、日本人と話をするのも初めての学生であるという。そこで採用したのは、日本の自動車メーカーがアメリカ進出をしてアメリカ人従業員に「日本の文化と社会」を紹介したテキストであった。
ビデオでの紹介も計画し、私は個人的に収録した番組を持参していたが、カンサスシティーの日本総領事館にも多くの日本紹介ビデオがあると聞いて、そこのビデオも使わせてもらうことにした。
私の授業を選択してくれた学生は16名で、日本で言えば小教室でのゼミという感じであった。授業は日本のように一律90分と決まっておらず、講義によって違うのであった。私の講義は45分授業を週に3回行うというものであった。
ある日、総領事館から借りたビデオで、伝統文化の紹介ビデオを見せたら学生達は退屈しだした。理由を訊くと、こういうのは今までにも見せられたが、見るたびに我々とは違うという思いがするだけで理解できないし、興味が湧かないと言う。私は無理もないと思って、次の授業で私個人が持参したクイズ番組とドリフターズのバラエティー番組を見せた。理解が容易でドリフターズには大笑いさえした。感想はというと、こういう番組を見て安心した。日本人も我々と同様の番組を楽しんでいることを知って親近感が湧いたというのであった。
笑いもドリフターズのアクションと装置の仕掛けで笑わせる笑いは、見て分かる部分が多く、この種の笑いは『Mr. ビーンズ』(英国)が世界中で受けたように、「共通の笑い」として海外でも見られるのではないかと思わせられる。
この16人のクラスは、週に3回顔を会わすので、とても親しくなった。最初は私の英語が聞き取れず困ったという学生がいたし、私の方でも質問の英語がなかなか理解できない学生がいたのだが、親しくなってくると、理解が行き届く感じになっていったので、コミュニケーションの不思議さを感じたものである。
日米合作映画『ブラック・レイン』が封切られて、授業をつぶしてクラス全員で見に行ったことがあったし、授業の最後には学生達がファミリー・レストランで送別会をしてくれたのも良き思い出となっている。