第45回 「新生児微笑」の不思議

 上方の落語や漫才、喜劇は、大阪で生まれて育った土着の芸能で、そして今もなお盛んで広く愛好されている。大阪の地において特に「お笑い」が盛んなのは何故なのか、私は特に漫才に焦点を合わせて『まんざい~大阪の笑い』(世界思想社、1981)という本を書いた。この本を面白く思っていただいたのか、講談社現代新書の編集者から「笑い」についての本を書かないかとお誘いを受けた。書き下ろしである。荷が重いかなと思ったが、先のことも十分考えず、引き受けてしまった。何度も編集者に尻をたたかれて、脱稿するまでに2年かかってしまい、1984年(昭和59)5月にやっと『笑いの人間関係』と題して刊行の運びとなった。
 私の書いた本の中では一番よく売れた本で、毎年刷り増しが続いて14刷りまでいった。今では絶版で、時々古本屋で買いましたよと声をかけてくれる友人がいる。編集者からはできるだけ自分の体験を折り込むようにと注文がついていたので、我が家の会話も登場する。私にとっては忘れ難い本である。
 この本は、「人間は笑っている」という事実を前提に、「笑いの人間関係」を考えようとしたのであったが、「人間はなぜ笑うのか」という問題を問わざるをえなくなり、私なりの答を用意すべく考えることになった。この時に、私は「人間は笑う動物」と考え、人間は誰でも生得的に「笑う能力」をもって生まれつくと考えた。この考え方は、その後も変わらず、私の「笑い学」の基礎をなす考え方となっている。
 今日では、もう少し考えを深めて、人間は「笑う力」を潜在的に備えて生まれ出てくるのだと考え、それを「潜在的笑い力」と呼んでいる。そしてさまざまな人間の笑いの現象は、それぞれの人間の環境と生い立ちによって、「潜在的笑い力」がある種の限定を受けて「特殊化」し「顕在化」したものと考えるに至っている。
 人類の長い進化の歴史を考えたときに、人類はいつ頃から笑うようになったのか、などと考えても、そんな問に答えてくれるような資料はない。遺跡から発掘された土偶の類にも「笑い」が刻印された資料は極めて少ない。でもないことはないようだ。
 (財)大阪府文化財センターが保存する縄文時代後期(前2000年―前1000年)の作と思われる「土面」(仏並遺跡出土)がある。これを見ると、目をまん丸くして口をぱくっと開けており、どう見ても陽気に笑っている顔と見えるのである。
 大昔の人間も笑っていたのだと思う。危険をおかして獲物を手にしたとき、思わず笑ったであろうし、獲物を暖炉を囲んで家族と共に食したときなど、微笑を浮かべたり笑ったりしたに違いない、と私は想像する。
 『笑いの人間関係』では、人間が生まれ出て、初めて見せる笑いはいつなのかという問題をとりあげた。動物行動学者のデズモンド・モリスは『マンウォッチング~人間の行動学』(藤田統訳、小学館、1980)の中で、赤ちゃんの表情に表れる微笑としかめ面について、それらは「生得的なものである」と言っている。「母親を一度もみたことのない子供が、その答えを出してくれる」として、「生まれつき目が見えず、耳も聞こえない子供を観察すると、彼らが日常生活の適切な瞬間に、微笑し、しかめ面をするのがわかる」と言う。
 私の尊敬する今は亡き中川米三先生(阪大名誉教授)は「赤ん坊は生まれて1週間もすると笑いの表情をみせる」と言っていた。これは「新生児微笑」のことを言っているのだと私は解釈した。
 私には二人の息子がいるが、家内が実家に戻っての出産だったので、私は息子たちの「新生児微笑」を見る機会がなかった。しかし、そのときの私は「新生児微笑」があることさえ知らなかった。そういうものがあるのならば、私は自分の目で是非確認したいものだと思っていた。
 チャンスが訪れたのは、初孫の出産のときだった。病院での出産で、可能な限り病院にかけつけ、孫の傍に座ってじっと眠っている顔を見ていた。そして私は4日目に見つけたのである。すやすやと眠っているときに、何とも言えない微笑が現れたのである。「あ!これだ!これが新生児微笑だ!」と思わず声を上げた。もちろん嫁も「あ!笑った!」と喜んでいた。私は確かに見たのである。それが生後何日目に現れるのか、個人差があるだろうが、この微笑は「生得的」なものとして考えるしかない。私は、人間のなかに潜在化してある「笑いの能力」が、この世に触れて初めて顕在化したものという風に考えた。
 では何故そんな微笑が現れるのか。もちろん赤ん坊の知ったことではない。とは言えそれは、母親の関心を惹き、母親に「可愛い!」と思ってもらいたいという最初のサインなのではないか。子供は泣くしうるさい存在と思われがちだが、一つの生命体が生きて行く方策として、実は母親を惹きつけるメッセージを発している、それが新生児微笑ではないか。
 可愛い新生児微笑は、1回切りではなくて、その後も時間をおいて現れる。お母さんがそれに気がつけば、「あ!笑った!」と反応し、赤ちゃんを可愛いと思う感情が生まれてくるのではないか。一度見たらまた次の笑顔を待つというように、飽きることなく笑顔を期待することになる。こうした母子の相互作用がとても重要ではないかと思われる。
 やがて時間も経てば、赤ちゃんの認知能力もついてきて、お母さんが笑顔で相手をすれば、笑顔を返してくれるというコミュニケーションが生まれてくる。赤ちゃんとおかあさんのあやしあやされの相互作用のなかで、赤ちゃんが潜在的にもっている「笑いの能力」も開発されてくると考えられるのである。
 もし、お母さんが、新生児微笑に気がつかず、赤ちゃんの笑顔に無関心で、笑顔であやそうとせず、放置あるいはニグレクトすれば、当然赤ちゃんの「笑いの能力」は眠ったままで経過し、表情のない子供に育ってしまうのではないかと思われる。
 私は、二人の嫁の出産のときに、産科を訪ねることがあったが、現場での妊婦教育や出産後の子育ての注意で、新生児微笑のことが説かれているとは思えなかった。あらためて二人の嫁に訊いてみたが、産科で新生児微笑に注意するようにといったコメントは聞かされなかったと言う。母子相互のコミュニケーションの重要性を考えるならば、新生児微笑への注目は欠かせないと思うのである。

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