第42回 「テレコム社会」の出版

 アメリカに行く前から講談社現代新書の編集部と約束をしていて、原稿用紙をアメリカにまで送ってもらっていた原稿が、アメリカでは一字も書けず、86年(昭和61)4月に帰国してから執筆にかかることになった。アメリカの体験を踏まえて、87年8月に入ってやっと上梓できたのだった。
 日本の国土は、アメリカの約25分の1で、比べようもなく小さい。人口密度も断然高い。にもかかわらずテレコムの普及に熱心である。テレコムの特徴を「時間と距離のゼロ化」と捉えると、広大な空間を生活スペースとするアメリカでは、願ってもない便利な道具であることが分かる。空間を超え時間をかけずに瞬時に情報が届けられる。
 日本は狭いとは言え、山と川と海によって妨げられ、往来には時間がかかる。地図の上では近くに思っても、川を渡り、山越え谷越えの地形である。テレビにしても難視聴区域が一杯できてしまう。道を造り橋を架け、トンネルを掘り線路を敷きして、「時間と距離」の克服を根気よく続けてきたし、一方では山々をつないでテレコムの有線を張り巡らし、無線のマイクロ回線網を敷いてきた。
 こういう事情を考えると、日本は直接の往来や通信の障害となる悪条件を一杯抱えた国であることが分かる。距離的には近いとしても、自然の障害物の存在があまりに多いために、「時間と距離のゼロ化」に向けてのニーズが非常に強かったと思われる。
 それと大都市圏では住空間となるスペースが狭いので、土地の価格が高くついて、人々は遠方からの通勤を余儀なくされる。過密であることが災いとなって、遠距離通勤やラッシュアワー、交通渋滞などの現象を起こし、それらが人の往来や情報の伝達に障害となって立ちふさがる。勢いテレコムへのニーズが高くなる。またいくら交通手段が発達したとしても、過疎地が残る。過疎地は「距離」によって孤立化し、都市との情報格差に悩まされる。
 日本はアメリカに比すればはるかに小さい国ではあるが、山や川や海とで分断されている地形に加えて、狭くて高密度な生活条件のなかにいるからこそ、テレコムに対するニーズが伝統的に高かったと言えるのではないか。
 日本の80年代は「ニューメディア時代」として特徴づけられる。通信衛星、放送衛星、CATV、ISDN,パソコン通信、キャプテン・システム、ファクシミリ、HDTV、CDなどが続々と登場した。「多メディア・多チャンネル時代」の到来である。
 メディアが増えチャンネル数が増えていくと、物理的なハードとしてのメディアを所有していることに大きな意味はなくなってくる。つまりソフトの力が強くなり、強いソフトが市場を制することになっていく。ソフト競争は多様なソフトを生み出し、消費者からすればそれだけ選択の幅が広がることになる。
 テレコムの最大の特徴は「時間と距離のゼロ化」である。ということは、発信者と受信者が直接に瞬時につながることを意味する。その間に入ってサービスを行っていた人々や機関が省かれてしまうという事態が起こる。と言っても中間のサービスがなくなるわけではなくて、新しい情報の流れに見合ったサービスが取って代わるということになる。テレコムの浸透でこれまでの情報の流れが、革命的とでも言えるほどに変わっていきつつある。業界の再編成、組織の再編成、仕事の再編成とさまざまな変化が起こっていく。
 いつの時代でも「変容」を迫られることは大変なことだ。悪くなるから「変容」を止めようとしても、「時代の流れ」は止めようがない。摩擦が起こる。昔ながらの知恵は、「変容」のプラスを促進し、マイナスをいかに少なくしてプラスに転じるかを考えることにある。新しいメディアの登場は、必ず新しいコミュニケーションの形態を生み出す。コミュニケーションの有り様の変化が、私たちの仕事の仕方、人間関係の有り様、生活の仕方の変容を迫ってくる。
 「テレビ研究」から始まった私のメディア研究は、ニューメディアを包含してテレコムが普及した時の「人間と社会」の問題を追うことにシフトしていった。「テレコムを生かす」生活とはどんな生活なのかについて考えた。その最初の思考をまとめて『テレコム社会』(講談社現代新書、1987)が出来上がった。
 今日では、「テレコム社会」と言っても、何の珍しさ、新しさもないが、87年の当時では、この言葉を書名にすること自体が新しかった。講談社の現代新書において、「テレコム社会」と名乗ったのであるから、他に類書がなかったと思う。
 しかし、現実のテレコムの進展のスピードははやく、次から次へと、「ニューメディア」が登場し、またコンピュータと通信とが結合しての新しい情報システムが次から次へと開発されていった。『テレコム社会』の特徴は変わらないとしても、現象はめまぐるしく変わっていった。『テレコム社会』は初版を売り切って、再版が出ることはなかった。
 私は自分の授業の中で使い、中には全く見知らぬ他校の先生がテキストに使っていただいたという話もあったが、一過性の本であることを痛感させられた。メディア系で次に用意することになったのは、『現代メディアとコミュニケーション』(世界思想社、1998)と題した本で、『テレコム社会』を出版してから11年ぶりに出すことになる。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください