1986年4月にアメリカから帰国して、大学の授業を再開。その間にアメリカから持ち帰った本やコピーの資料整理をして、約束していた本を早く書かなければと思っていた。というのは、アメリカに出発する前に、講談社の現代新書編集部の方と、アメリカのテレビやケーブルを含めたテレコミュニケーションの話を書く約束をしていたのであった。しかし、その約束を果たす前に果たさなければならないもう一つの出版があった。
私は授業の参考書として『テレビの社会学』(世界思想社、1978)を使っていたが、10年の時間の経過もあって、世界思想社からも賛同を得て、番組に焦点を当てた『テレビ文化の社会学』(1987)の計画を立てていた。この方を先に完成しなければならなかったのである。番組関係で書きためた原稿を整理し、補筆や追加を行ってまとめた本であったが、それでもかなりの時間とエネルギーを要するものであった。
帰国後、まずその方を完成して87年3月に発行となる。同時進行のようにして進めていた現代新書の方は、書き下ろしが条件であった。ワープロではなくて、私は鉛筆で書き進めていた。消しゴムで消したり書いたりしての執筆であった。手書き原稿だと筆が進んでも、1日で20枚(400字詰原稿用紙)が限度であった。指先が痛くなるのである。
書き下ろしで分かりやすくということになると、自分の体験や見聞を堀り起こしながら書くということになる。この経験は、1984年に出版した『笑いの人間関係』(講談社現代新書)の時にしたことであった。その時に編集者から言われたことは、出来るだけ自分の体験を入れるようにということであった。
私の当初の関心事はアメリカのテレビ、ケーブルテレビであったが、生活をしてみると、電話や通信衛星などを含めた「テレコミュニケーション」(テレコム)の発展に関心を持つようになっていった。そして、テレコムとテレビ、パソコンが結合した情報システムが普及していくと、どんなコミュニケーションが展開され、どんな社会が生まれることになるのか、どんな問題解決に役立つのかと考えるようになり、それらの問題を「テレコム社会」として考えることが可能ではないかと思うようになった。
テレコムの世界は、アメリカが世界の先端を切っていたが、その先端も日進月歩でどんどんと変わっていく。テレコム研究は、その理屈はどうあれ、現実に進行するメディアの開発や普及の実態を知らずして考えることができないから、その実態を追わなければならない。文献資料だけでなく、現場を見届けておく必要があると思っていた。
私は、留学中にいくつかのケーブルテレビ局を訪問した。大学のあるブルーミントンとインディアナポリス、それにトロントのケーブルテレビ局を訪問した。
6月の初旬であったと思う。阪大工学部の通信工学教授で関西ニューメディア研究会会長の滑川敏彦氏が、渡米のついでにインディアナポリスに立ち寄られ、ヒルトンホテルに宿泊。私の方に連絡が入り、私もヒルトンホテルまで出かけた。私は関西ニューメディア研究会の副会長をしていたので、懐かしい久しぶりの対面となった。大きなステーキのフルコースを注文して食べ切れなかったのを覚えている。
翌朝、折角の機会だからというので、地元にあるケーブルテレビ局に出かけた。その日に電話でアポイントメントをとっただけであったが、気持ちよく迎えてくれて十分に見学ができたのであった。
トロントでは、カナダ人の知人宅でホームステイをさせてもらっただけではなく、その人の紹介で地元のケーブルテレビを訪問した。紹介があるとないとでは大違いであると思った。丁寧な案内を受けたのが忘れられない。私の訪問時点(1985年)で既に35チャンネルを超える多チャンネル・双方向通信を実現していた。通信衛星を利用したネットワーク・サービスや電話網を駆使した新しいテレコムのサービスが次々と展開し出していた。テレビ放送局並の大きな施設であった。
アメリカは世界に先駆けてテレコムが発達をみている。それは何故なのか、私はアメリカでの生活から、それは無理もない話だなと思うようになった。先ず国土の大きさである。車と飛行機を使って旅行をしたが、その大きさを体感すると目がくらむという感じであった。広いという知識はあったが、車で走ってみると1日中走っていても地図の上に印をつけると、まるで進んでいないという感じである。ラジオをつけて走っていると、いつの間にかラジオ電波が全く反応しないというところであったり、360度見渡す限りが地平線であったり、何と広いところかと驚いてしまう。
キャンパスの中でも建物と建物との距離が長い。キャンパス・バスのサービスがなければ学生が移動に困ってしまう。一戸建ちの家も敷地が広く、道路から玄関口までの距離が長い。これでは郵便配達が困るのではと思ってしまう。ポストは道路脇に備え付けられていて、郵便配達人は車を横付けにして車の窓から手をのばしてポストに入れる。家人は雨のときや寒いときは、ポストまで取りに行くのが大変である。新聞の配達は小型トラックでやってきて、荷台から玄関に向けて放り投げてゆく。家人は、庭に落ちている新聞を拾うわけである。時には屋根の上に放りあげられている場合もある。
アメリカではローカリズムが強くて日本のような全国紙が発達せずとよく言われるが、私はアメリカの広さを考えたら、新聞を全国に即日配達などできるわけがないと思った。
プリントメディアは印刷物を運ばなければならない。その点からすると空間の広さは運ぶ妨げとなるし、時間がかかる。この不便を解消しているのがテレコムである。
広大な国土に散らばって生活するアメリカ人にとっては、「時間と空間のゼロ化」ニーズがとても強いということが言えると思った。広い空間での単なる情報伝達なら、印刷物よりもテレコムが便利であることは明らかだ。日本は国土が狭いし人口密度も高い国だが、テレコムの普及に熱心である。これは何故なのであろうかと考えさせられる。