第39回 大学中心の街づくり

 インディアナ大学のキャンパス内で暮らすようになって、私はアメリカの大学と日本の大学との間にある大きな違いに気がつくようになった。
 先ず教職員も学生もキャンパス内かその近辺に住んでいる。日本で私が約1時間40~50分かけて通勤していると言ったら、相手は目を丸くして「信じられない!」とびっくりしていた。彼らの感覚からすれば、通勤にそんなに時間をかけていたら、教育も研究も十分にできないではないかということであろう。日本では1時間半ぐらいかけての通勤は珍しいことではないのだと説明したら、更に一層目を丸くしていた。
 学生も教職員も大学の中か近くに住んでいるという体制、これは学生の学習・教育面ばかりでなく、教員の研究活動にも大きなプラス要因になっているように思われた。大学の設備が24時間、好きなだけ使えるという保障があって、実際にまた使える条件下に学生も教員もいるということである。治安の関係で一部施設の時間制限はあるにしても、原則的にはキャンパスポリスが治安の保障をしており、開放的で自由な研究環境を保障しているのである。住まいと学校とが徒歩か車で、短時間で移動できる体制というのは、研究者にとっては便利に違いない。
 アメリカの大学から、学問、芸術、スポーツなど世界的一流の人材が輩出される背景には、学生や教員の大学への近接居住、研究や練習、制作の時間、学内の人材との交流など、制限なしに時間が保障されているということがあるのではないか。彼らのおかれる「場」が日本と違うからではないかと思ったものである。
 もう一つ驚いたのは、大学と地域社会との関係である。日本では自治体が管理運営する美術館や博物館、中央図書館、オペラハウスや音楽ホール、サッカースタジアムやゴルフ場、総合体育館などを大学が管理運営していて、その他にテレビ局やミニ新聞社も運営していた。大学の芸術学部や音楽学部、体育学部、ジャーナリズム学部が、それらを自らの教育施設として利用すると同時に地域の市民の利用にも供しているのであった。人手の足りないところは、学生たちが実習あるいはアルバイトの形で受け持つし、市民ボランティアの参加もある。
 オペラハウスやオーディトリアムなどは音楽学部・大学院の管理下にあって、学生は音楽を学ぶと同時に発表の場をもち、発表までの全てのプロセスを学ぶ。トップの指導者は教授であり、それに院生と学部生が続く。教授はもちろんプロの演奏者であり作曲家でもある。時には世界的に有名な演奏家が招待されて演奏会が開かれるし、リサイタルホールでは、毎夜学生の練習や発表会が行われる。
 院生は世界からの留学生で、お国ではプロ並みという学生である。演奏会は、教授や有名人のものは有料となるが、そうでないものは無料で、一般の学生も市民も自由に参加でき、自然と良い聴き手が育っていくようになっている。私は友人と一緒に、夕食後の一時、毎夜どこかの演奏会に足を運んだものである。
 夏休みになると地元の高校生や中学生が大学の体育館にやってくる。大学の部員から指導を受ける。例えば、大学のバスケット部の選手が指導する時、そのなかに全国的に著名な選手や時にはオリンピック出場選手も混ざる。
 大学の対抗試合になると、地元市民が総出と言ってもよいくらいに応援にかけつける。全国的なトップクラスの選手がいて、その下に学部・大学院の学生がいて、指導を受ける高校生や中学生がいて、そして応援に駆けつける市民がいてというように、大学を舞台にして人材を育成する循環的な仕組ができている。
 インディアナ大学はバスケットボールが強くて、その対外試合を見に行ったことがある。大学の試合だから無料かと思って行ったら、応援する学生からもきちんとお金を取っていたので驚いたことがあった。資金集めの一環にしているのであろう。
 美術館は、芸術学部・大学院が運営に当たる。芸術教育の一環のなかに美術館が位置づけされていて、プロの育成と良き観客を育てる仕組みが作り上げられている。学生の作った彫刻などはキャンパスのあちこちに展示され、一般学生も自然と目にふれるようになる。芸術的雰囲気をかもしだした環境作りが学生たちの手で行われているわけだ。
 放送局が、大学のテレコミュニケーション学科の下に運営されているのも、学生の放送教育がカリキュラムのなかにあって、番組作りの実習が、実践活動の傍で行われるという仕組みになっている。
 小型の新聞社(デイリーの学内新聞を発行、通信社と契約して内外の大きなニュースも掲載)があるのは、ジャーナリズム学部があって、そこで未来のジャーナリストを目指す教育が行われていて、実践の実際を学ぶ仕組みとつながっている。
 他の経済学部や法学部でも、地元経済人とのセミナーや講演会など、学部主催でよく開かれていたし、夏休みで寮が空くと、宿泊しながらの学会やセミナーもよく行われていた。普段の日でも、夕刻になると、大学のどこかで「○○研究会」「○○フォーラム」とか、また「講演・○○氏」とかの立て札が必ず出ていた。聴講歓迎のさまざまなサロンが大学内で開かれていた。
 日本では大学と地域社会とに距離があって、大学と関係なく美術館も博物館も音楽堂も作られる。継続的にプロの人材の育成をはかると同時に広く学術、芸術、文化教養に親しむ市民も育つという大学の研究教育と市民の生涯学習までをつないだ循環的な教育のシステムとして、大学を位置づけできないものかと考えさせられた。

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