去る2月に大学の集中講義を終えた。平成18年度の放送大学面接授業を受け持ったのであった。本来なら昨年の5月に終えているはずであったが、突然の私の入院で、今年の2月に延期となった授業である。当初は90人からの応募があったが、2月に変更になって28人の受講生となった。多くの人が受講の機会を逸したことになり、大変迷惑をかけ、申し訳のないことをしてしまった。
「笑って元気で!」というのは、私の生活目標ではあっても、忙しすぎると笑う機会も減って身体に無理が生じるということを悟ったわけである。早く元気が回復できたのは、笑いのおかげ、とりわけ孫たちの笑いであったように思われる。孫たちの笑いは、不思議な力をもっていて、心のなかに思い描くだけで元気がでるような気がするから不思議である。若い命の輝きというのか、生命力そのものに直結した何ものかを感じさせ、それとのつながりにおいて自分があることを感じて癒される、という感じになるからであろうか。
大学の集中講義は、通常は遠方の大学から先生を招いて、宿泊してもらいながら集中して半年あるいは1年分の授業をしてもらうもので、私も遠方の大学によく呼ばれたものである。放送大学の集中講義は少し変わっていた。
放送大学の地元における面接授業で、2日間でもって1コマ2時間15分を5コマ実施する。合計で11時間と15分を担当したわけである。各時間には、トイレ休憩を挟むが、それにしても長時間の集中である。私の場合は、1日目に3コマ、2日目に2コマと分けて行ったが、終わったときは、さすがに疲れてはいたが、しんどさはなかった。やりとげたという満足感があった。まるでトーキングマシーンのように話し続けたのだから疲れるのは当然だとしても、爽やかさがあった。とりわけ昨年5月の手術の後では、初めての体験であるだけに、体に自信を持つことができた。
テーマは「大阪の文化と笑い」で、このテーマで一般向けの講演はしてきたが、かくも長時間に渡って話をした経験がなかった。話すということは、反復もかなりあるが、相当の量がないと、材料がなくなってしまうわけで、授業が終わった時は、ともあれ「これで終わった」と安堵したものである。頭の回転もまだまだ大丈夫という、自分が蘇生したような気分も味わうことができた。
私にとって長い時間であったが、受講生の皆さんにとっても、じっと座っていること自体、大変だったでしょうと話すと、皆さんは私の体調を心配されていて、「先生の方が大変だったでしょ」と慰められた。
普通の大学の集中講義は、1コマが1時間30分で、半期講義、あるいは通年講義を1週間のうちに済ましてしまう。多くは半期講義(15コマ)を1週間で済ますケースが多い。大学に在職中、地方の大学で非常勤講師を頼まれると、集中講義になる。大阪から毎週通うということができないから、特定の週にかためてもらうわけである。
思い出してみると、初めての集中講義は、昭和59年(1984)に熊本大学文学部で行った「テレビの社会学」である。京都大学の先輩に招かれての熊本行きであった。講義が終わると、私の慰労をかねて大勢の学生たちと大コンパとなり、焼酎をかなり飲むことになった。先輩には熊本名所や温泉旅館も案内してもらい、集中講義を大いに楽しんだのであった。
2度目の集中講義は、福岡の九州芸術工科大学芸術工学部であった。昭和63年度(1988)から平成7年度(1995)までの7年間、「視覚伝達論Ⅱ」という科目を受け持った。私の都合で、いつもクリスマス前後で授業を行っていた。土日や祝日には大学の事務職員が休んでしまい、助手や助教授の先生に世話をしてもらっていた。宿舎は大学の近くに確保されていて、ホテルと大学とを往復するだけの、味も素っ気もない生活であった。大学が休業の時に授業が行われるのであるから、学生も乗り気でなかったと思われるが、それでも出席はかなりあった。
九州芸術工科大は、できれば講師の交替をしてもらいたくて早くからお願いをしていたのだったが、要員が見つからず、ずるずると継続してしまっていた。私は、一方で甲府にある山梨英和短大にも集中講義で出かけていた。甲府は遠方ではあったが、私学でそれなりの待遇があって、出かけるとホッとして、気分を一新できる旅行気分が味わえていた。
山梨英和短期大学は、昭和63年度(1988)から平成7年度(1995)まで「映像文化論」を担当し、多くの女子学生が相手の集中講義であった。私の関西弁が面白いということもあってか、学生たちがよく笑ってくれて楽しく授業ができた。宿舎は甲府市内にあって、温泉の湧く旅館で、講義が終わって夕刻に宿舎に着き、すぐに温泉に浸かるという、この楽しみが何とも言えなかった。その後、一人きりではあったが、ゆっくりと夕食をとって、明くる日の講義に備えるという時間の経過が実に快適であった。季節はいつも夏を選んでいたので、控え室ではおいしい葡萄をごちそうになった。講師控室では、毎時間、おしぼりとお茶が用意され、助手か副手の方であろうか、行き届いた親切なサービスが思い出される。私が出向いた集中講義で、ここほどに行き届いたサービスを受けたところはなかったと思う。