第23回 思い出の「11PM」

 放送局は、マスメディアと言っても、新聞社や出版社と違って、放送法の下で政府から免許を得て運営されており、局の「番組基準」を定め公表して、それに従って番組の編成・制作に当たらなければならないとなっている。民放の場合は、民間放送連盟が定めた「民放連放送基準」に準拠しており、局によってはそれに基づいての具体的指針として「ガイドライン」や「内規」を設けているところがある。
 基準があるからと言って、問題が起こらないというわけではない。あくまでも自主規制であるから、基準には解釈が入るし、具体的表現をめぐっては意見の相違も生まれる。
 編成部にあっての、私の番組考査の仕事は、放送基準を念頭におきながら、台本を読み、試写に立ち会いながら、具体的な表現について点検をしたり、相談にのったり、アイディアを提案したりすることであった。今日では、制作の部局に考査担当(兼任)を置いているが、私の担当していた当時は、番組の「編成権」は編成局が担うという考えで「編成」が責任を負っていた。
 1972年(昭和47)の北欧視察から帰って、私は私なりに影響を受けて帰ってきたことは確かであった。北欧で言うところの「フォーマルでナチュラル」な表現というのは、日本の状況に置きかえると、どんな内容になるのであろうか、そんなことを考えていた。
 その当時の「民放連放送基準解説書」(1970年版)の全裸に関する基準では、「全裸は原則として避ける。肉体の一部を表現するときは、劣情・卑猥の感を与えないように注意する」と書いており、その解説欄では「現状では、まだヌードが家庭生活の中に定着しているとはいえない。このような社会的背景から見ても全裸を無造作に扱うことは避けるべきであり、また肉体の一部でも、乳房、でん部、ももなどの描写については、おのずから限界がある」としていた。
 当時を思い出して一番印象に残っているのは「11PM」という番組である。倫理考査の観点からは、問題をよく起こす番組であった。
 「11PM」は、1965年(昭和40)11月にスタートし、1990年(平成2)3月までの長きに渡って続いた番組である。午後の11時15分から始まり、月曜から金曜までの深夜時間帯の開発に成功した番組で、大阪の読売テレビは、火曜と木曜を担当していた。東京の日本テレビ制作は大橋巨泉が司会をし、大阪は藤本義一が担当した。深夜時間帯ということで、時代を賑わす社会風俗を反映させながら、旅やゴルフ、競馬、お座敷芸などの遊び、ヌードやセックスの話題など、肩の凝らない軟派路線を特色とした。
 大阪制作では藤本義一の融通無碍な司会が一見危なげな内容を巧みに裁き、「笑いとユーモア」を大事にしていた。木崎国嘉ドクターと安藤孝子との対談コーナーなどは思い出しても懐かしい。ユーモアと京都弁の柔らかさで包んだ「大人の会話」が工夫されていた。そうは言うものの、視聴者からの抗議が再々舞い込み、電話口で「子どもに見せられない!」「公共の電波を使って何を放送するのか!」などと怒鳴られることも再々であった。
 しかし、性に目覚める年頃の青少年にはとりわけ人気があって、彼らは親の前では見られないので、いったんは寝た振りをして親が寝たら起き出して見ていたという、そんな声も寄せられていた。ウラ文化的な効用を果たしていたわけだ。
 夜の11時過ぎからの深夜放送なので、メインストリートに対する裏通り的な感覚での話題を取り上げ、またアルコールも混じるというスタジオの進行であった。しかし、放送は放送なので「子供に見せられない」という批判を浴びたが、「こんな遅い時間まで子供が起きているのがおかしいではないか」と反論するディレクターもいた。
 世間では、PTA団体などのアンケート調査で「ワースト番組」が発表されたりしていたが、「11PM」は決まって「ワースト番組」に入れられ、「低俗番組批判」の矢面に立たされていた。
 視聴者ばかりでなく、時にはネット局の考査担当者から「やりすぎ」の批判を受けたりしたこともある。真面目すぎる視聴者の中には、直接に監督官庁の郵政省に抗議する人もあった。そうしたとき大概は日本民間放送連盟を通じて問い合わせを受けることになる。もちろん、外部者には番組に干渉する権利はないのだが、視聴者から電話やはがきの問い合わせが寄せられて困っており、どんなことが放送されたのかを知っておきたいので教えてほしいと訊いてくるわけである。
 「11PM」は原則的に生放送であったので、台本を事前に読んでも、中味は殆ど分からない。コーナーの名があって中味は「よろしく」と書いてあるだけである。私は注意が大事かなと思うと、事前にプロデューサーに内容を確認していた。
 ある日、生放送でバスタオルを巻いていた女性がタオルを落としたために全裸が映ってしまうとうハプニングがあった。不注意で落としたということであったが、私ば意図的にそうしたのであろうと思った。そこまでして全裸を出したいのかと思っていたが、この出すか出さないのかの際どさが、視聴者の関心事でもあったようだ。際どい内容の時の方が視聴率が高くなるのであった。
 考査の仕事は、何もなかって当たり前、何かあると視聴者からいつも批判され、怒られるという仕事であったが、ぎりぎりの表現を狙うディレクターの手腕に感心もしていた。司会の藤本義一のとぼけた言いまわし、とりわけユーモアによって笑いをとってしまう方法に救われることが多かった。笑いは大事な要素であった。

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