第22回 テレビと「全裸表現」

 2006年大晦日の「NHK紅白歌合戦」で、歌手のDJ OZMAが出演中、女性
ダンサーズが”全裸パフォーマンス”をしたということで騒がれる事件があった。実際はボディースーツを着用していたのであったが「全裸と思わせた演出」としてNHKに抗議する電話がかなりあったという。
 この問題の是非を問うAOLニュースの投票では、2957名(1月13日現在)の内52%が「ボディースーツを着ていたのだからよい」で、48%が「ハレンチな演出で許されない」という結果が示されていた。賛否相半ばというところか。
 公共のテレビで全裸と思われるシーンは、今でも問題になることを示す一例であるが、私は今から35年前の「北欧視察」を思い出していた。 
 私は、テレビ局に在職中、海外取材で出かける報道や制作に関係していなかったので、海外に出かけることは先ずないと思っていたのだが、番組考査の仕事をしていた関係で、マスコミ倫理の海外視察というチャンスが訪れたのである。
 映画・新聞・週刊誌・ラジオ・テレビなどのマスメディアで構成する「マスコミ倫理懇談会」という機関が組織されていて、その主催で「マスコミ欧州視察団」が編成され、それへの参加が許可されたのであった。1972年(昭和47)のことである。
 70年代の初頭は、アメリカのベトナム反戦の運動からヒッピーが登場、ジーパン、ロング・ヘアー、麻薬・マリファナ、フリー・セックス、ポルノなどが話題となった。日本にもその影響があって、「セックスと暴力」の過剰な表現が、映画、週刊誌、テレビなどのマスメディアで目立つようになっていた。「ポルノ・ブーム」とさえいう呼び方があった。
そんな世相を抱えて、「ポルノ解放」で話題となった北欧を視察勉強しに行くことになったのである。「北欧に視察」というだけで、多くの同僚からは「ポルノ視察か」と冷やかされていた。
 視察の課題は「性と暴力表現」についてであったから、当地におけるマスメディアにおけるさまざまな表現について勉強するというスケジュールをこなし、一方では私はできるだけ多くの広場を歩いて写真を撮って歩き回った。「テレビ広場論」を考えていた私にとっては、現実の広場を是非この目で確かめておきたいという思いがあった。
 ソ連、フィンランド、スウェーデン、デンマーク、オランダ、ベルギー、イギリスと回ったが、「性表現」については主として、スェーデン、デンマークで実際を見て、関係者の話を聞いた。両国は1969年(昭和44)に既に日本の刑法175条にあたる「ワイセツ文書図画」の制限条項を全て廃止していたので、その経験を聞かせてもらったわけである。解禁した時は、混乱を招いたが3年後の今では落ち着いてきている。ポルノショップなどは時々摘発されてつぶれるところがあるが、それも脱税問題で、本筋とは関係がないということであった。
 結局は「個人の自由」の追求をつきつめて行くと、「性表現」の問題も原則自由となって、後は、青少年の保護対策をどうするかという問題と「見たくない人」に見えないようにするにはどうするかが課題として論じられていた。
 視察旅行は帰国後に報告書を出すが、私は会社の『社内報』と『民間放送』(日本民間放送連盟発行)という新聞に報告を書いて発表した。手元には『民間放送』(昭和47年6月13日)の記事が残っていた。今から数えるとざっと35年前の原稿であるが、懐かしく読み直しをしてみた。
 スウェーデン側の説明では、ポルノと裸の表現とは分けており、ポルノとは「学術的ないしは芸術的でないセクシャルなモチーフをもって人を挑発するもの」と定義され、人の裸については「ノーマルでナチュラルなフォームで全裸であったりする」のはかまわないという考え方である。スウェーデン放送協会のニュース・エディターの話として、「裸についてはもちろんテレビでもうつる。陰毛も性器もナチュラルなフォームで取り扱われている。陰毛を消したらアンナチュラルだ。われわれはポルノを製作しているわけでないし、製作する意図もない」というコメントを紹介している。
 私の結論はこんな風になっている。「性の問題にはその国の風土なり、歴史的社会的条件が複雑にからまりあって」いるので、「性表現を問題にしていく際には、そこから問題を提起し、望ましい性観念を探っていく中で考えてゆきたいと思う」と締めくくっている。彼我の差が余りにも大きかったので、日本人の感覚ではちょっとかなわないなという印象を抱いたわけである。
 「個人の自由」「表現の自由」を観念的に追求していくと、北欧的な解決法にゆきつくのであろうが、観念優先で事を決めるのに抵抗感があった。表現の問題は、風土と歴史を背負っており、何でも西欧を真似してよいというものではなかろう。「ノーマルでナチュラル」であれば見せてもよいのかとなると、そうとも言い切れないという気持ちであった。
 視察目的もさりながら、私の初めての北欧は、季節も春で、空は澄み、花は咲き乱れ、街を歩くことがとても爽やかで、気分爽快であった。公園や「広場」も見てまわった。朝市に利用される「広場」は、さまざまな人が行き交って、その人達を見ているだけで飽きなかった。バスで郊外に出ると、太陽の輝きの中で人々は裸になって芝生に横たわり体一杯に日差しを浴びていた。そうなんだ、北欧では殆ど太陽が照ることが少なくて、この季節の日光浴は貴重な一時なのだということに気がついた。ここでは裸は「ナチュラル」なのだと納得したのを覚えている。

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