第19回 大阪万博と漫才ブーム

 「漫才ブーム」と聞けば、多くの人は1980年(昭和55)の時のブームを思い起こすのではないか。テレビから起こり、またテレビで騒がれたブームであった。各テレビ局が競って漫才番組を編成したのが思い出される。それより10年遡ると、同様の漫才ブームであるが、劇場から起こったブームであったことに気がつく。それだけ変わったわけである。 
 1970年(昭和45)に大阪で万国博覧会があって、大阪の街には人が溢れ、演芸場にもたくさんの観客がおしかけた。演芸界には「漫才ブーム」が訪れ、各席とも観客が溢れかえっていた。ブームは、新人の登場があって先輩たちが下支えをする形の漫才群が出来上がるときに起こるようだ。
 新人クラスとして、横山やすし・西川きよしを先頭に若井ぼん・はやと、正司敏江・玲児、コメディーNo1、レッツゴー三匹、中田カウス・ボタンなどがいて、先輩群には、三遊亭小円・木村栄子、中田ダイマル・ラケット、海原お浜・小浜、夢路いとし・喜味こいし、島田洋介・今喜多代、かしまし娘、若井はんじ・けんじ、上方柳次・柳太、人生幸朗・生恵幸子、鳳啓助・京唄子などがいた。
 私はこの時、直接「お笑い」に関係する仕事はしていなかったが、寄席めぐりはよくやっていた。これも先に触れたマイナーな仕事の部類に入るのかも知れないが、「寄席演芸に関するアンケート調査」を私がいた編成と制作、宣伝の共同の仕事として、実施しようということになった。「お笑い」関係番組の編成・制作に役立つような資料を得るのが目的であった。このような調査はそれまでになされたことはなく、初めての試みであった。
 1971年(昭和46)8月21日(土)に「なんば花月」、12月4日(土)に「角座」、72年3月22日(水)に「うめだ花月」、入場時にいずれも400人に用紙を配布して、退場時に回収するという方法で実施した。私自身も入り口で用紙の配布をして回収にもまわった。有効回収数は、「なんば花月」が301、「角座」が360、「うめだ花月」が315であった。
 調査結果の一部をひもときながら、当時の「なんば花月」の観客の実態を浮かび上がらせてみよう。まず大入り満員である。正午からの開演なのに11時頃から客が詰めかけ、開演時にはほぼ客席が埋まり、午後2時から3時頃になると、立見席も一杯で、人の肩越しに見なければならなくなってくる。夏休み期間中ということもあり、子供連れが目立つ。男女差は殆ど無く、20代が一番多くて全体の34,2%、殆どの人が、友だち、夫婦、親子、恋人などの連れと来ている。出身地では西日本出身の人が大半で、中でも大阪府下出身が38,2%で圧倒的に多い。愛知県以東では合計で4%しかない。現住所で見みると、大阪市内が 24,3%、その他の大阪府下が40,5%、それ以外は21,0%となっている。
 寄席に来る理由としては、上位3位に「寄席そのものが好き」「寄席の雰囲気が好き」「テレビで見ておもしろいと思った」が上がり、次いで「好きな出演者が出ている」「家族連れで楽しめる」が上がっている。「寄席そのものが好き」と答えた人が3演芸場の平均で43,3%、
「寄席の雰囲気が好き」が31,9%となっており、この当時ではまだ「寄席ファン」が顕在で、テレビとの相乗作用も生きていたと考えられる。後の1980年(昭和55)に「漫才ブーム」が訪れるが、これは「テレビ漫才ブーム」と言ってもよいものであった。
 70年の万博ブームで湧いた演芸場も徐々に観客が減りだして、76年(昭和51)には「神戸松竹座」が閉館、77年に「トップホットシアター」が閉鎖。83年(昭和58)には「新世界花月」が休館、84年には「角座」が閉館(「浪花座」に転じて86年再スタート)、87年には「京都花月」も閉館というように、演芸場の退潮が目立った。
 吉本興業は90年(平成2)に「なんば花月」を閉鎖するが、86年に「心斎橋筋2丁目劇場」をスタートさせ、87年(昭和62)に「なんばグランド花月」を新築した。吉本は、80年の漫才ブームを受けて、82年に「吉本総合芸能学院」(NSC)を開校。新人漫才の育成をはかることにし、実際にここから新人の多くが育っていった。
 時代の趨勢は、演芸場からテレビ優位の状況が生み出されていくが、人材が育つには、実際に観客を交えての「寄席空間」が必要で、赤字を出しても劇場の確保が大事となる。  
今日では「なんばグランド花月」や「baseよしもと」「うめだ花月」、それに「B1角座」などの定席があるが、それに1996年(平成8)年からスタートした大阪府立上方演芸資料館「ワッハ上方」が提供する「レッスンルーム」や「ワッハ上方ホール」の貢献も指摘しておかなければならないだろう。
 一方テレビの方を見てみれば、「お笑いブーム」の到来と言われているが、まさにテレビ向きの芸が人気を呼んでいる。例えば『エンタの神様』などの番組から一人芸の活躍が目立って話題となる。それは私には、「テレビ芸」が受けているのであって、漫才が受けているとは思えない。芸はメディアを選ばないということはあるが、テレビから生まれた芸は、テレビ色が強い。ビジュアル性の強調、断片的笑い、異様なオンリーワン的誇張などが目立ち、舞台漫才の味とは違ったところがある。
 もし、70年代当時と比較できるような「寄席演芸場の観客調査」が行われたとしたらどんな答がでるであろうか。