今日のテレビは、画像が途中で切れたり、乱れたりすることなく、番組とCMは切れ目なくつながり、時間通りきれいに流れていく。画像が中断するなどの事故を目にすることは偶にしかない。私がテレビ局に入社した頃は、殆どの番組が生放送で、事故はつきものであった。
入社して配属されたのは、審議室考査課という職場であった。1960年(昭和35)当時のことであるが、通称「モニター」と呼ばれていた。放送を交代勤務で監視する仕事である。番組とCMが無事に放送されているかどうかを見守って、事故が起これば、画面と時計を見ながら記録をとっていくのである。何分何秒から何秒まで画像断、画像乱れ、あるいはアナウンサーの言い間違い、コマーシャルの画像断、音声途中切れ、時にはテロップの字の間違い、ニュースの読み間違いなど、それらを秒単位で記録していくのであった。
当時は、ビデオテープは貴重品で、特別な番組制作に使われることはあっても、事故の記録用に使うということはなかった。殆ど全てが生放送の時代であったので、映像が切れたり乱れたりの技術的な事故がよくあった。今日のようにコンピュータ制御で機器が動いて番組とCMが切れ目なく流れていくというようなことはなく、マスター・ディレクター(通称MDと呼んでいた)が出すキューに従って、番組が切り替わり、コマーシャルが挿入された。コマーシャルも当時は、フイルム、スライド、テロップと動画と静止画とが入り混ざり、それらのセットされた機器をディレクターのキューの指示で動かしていたのである。それらの仕事を秒刻みで行っていて、今から思えば神業と言ってもよいぐらい、事故が起こらなかったら不思議なぐらいのものであった。
モニターは、秒針を見ながら記録用紙に書き込んでいくのであるが、最初に先輩からこの仕事を教えられたとき、こんな神業的なことが出来るのかと危ぶんだものである。テレビ画面と大きくまわる秒針を見ながら、咄嗟にペンを走らせることがとても難しく、パニックを起こさんばかりに緊張してしまうのであった。人間の感覚というのは恐ろしいもので、慣れてくると1秒が長く感じられるという感覚が生まれてきて、事故が記録できるようになっていった。
民間放送は、広告によって成り立っているから、番組もCMも商品で、それが無事に放送されたのかどうかは重要な問題である。生放送は、放送の時間が過ぎれば後に残る証拠は何もなく、誰かが責任をもって見届けておかなければならないし、事故があれば記録を残さなければならないのであった。
記録には、記録者のミスも考えられるから確認を必要とした。技術的な事故は、技術局に出向いてTD(テクニカル・ディレクター)から事故現象の確認と事故原因を教えてもらって記録に残す。テロップの文字の間違いやアナウンサーの読み間違いなどは、当該部署に電話をするか出向くかして確認をとる。文字の場合だと証拠が残るがアナウンサーの言い間違いは、「言った」「言わない」の口論になる時もあり、当事者が認めないというケースもあって、この確認作業はなかなか骨の折れる仕事であった。
記録書が出来上がると、真っ先に営業にまわされた。営業はスポンサーへのお詫びや事故の補償について話し合いをする必要があったのである。自社の提供番組についてはモニターをしているスポンサーもあるが、番組提供であろうとスポット提供であろうと、広告主は局を信頼して広告費を払っていたわけで、モニター記録は、厳正で公正でなければならず、そう考えると重要な仕事であったわけだ。
その当時、友人からテレビ局で何をしているのだと尋ねられ、私は「テレビを見るのが仕事でね」と答えると、「テレビを見ているだけて給料がもらえるのか」と揶揄されたものである。2時間見ては2時間休んでという周期でテレビを見る。同僚がドラマ制作や報道の現場で活躍しているのをみると、羨ましく思ったものである。ドラマの企画やシナリオが書けるとか、そんな仕事をしたいものだと思っていた。
大学に転職して思ったことだが、このモニター時代にありとあらゆる番組を見ていたことがすごく役に立った。「テレビとは何か」を考えるに当たって、ドラマだけとか報道番組だけとかではなくて、早朝番組から深夜番組にいたるまで、あらゆるジャンルの番組を見ていたことが役立ったのである。多くの「お笑い番組」も見ていたことは言うまでもない。
新聞なら全ての情報を紙面で見届けることが出来るが、放送は時間メディアなので、テレビ局の人間であっても、早朝から深夜まで一通りくま無く見届けるということはまず不可能と言わなければならない。テレビ局に勤める人間だから、放送番組についてよく知っているだろうと思うのは錯覚で、ごく一部の番組しか知らないのが実情である。局内では社員モニターが一番よく見ることができる立場にあった。
とは言え、「見る」作業は退屈で、時折眠気が襲ってくるのである。1日の放送が始まる早朝番組を見ていなければならない時は、特に辛かった。眠気が襲ってくるので、立って見るとか、眠気とたたかいながらのモニターであった。その時は、早く配置転換してもらえないかという思いが強かった。仕事の評価というのは、即断できないもので、このモニターの仕事が後のテレビ研究に役立ってくれたのであった。