去る9月8日、久しぶりに松竹座に出かけた。松竹新喜劇60周年記念興行を見るためである。今日では「新喜劇」と言えば「吉本新喜劇」を思い起こす人が多いと思う。「吉本新喜劇は」、1959年(昭和34)以来(当初は「吉本バラエティー」と呼んでいた)、今日に至るまで、約半世紀に渡って続いており、且つテレビ中継され続けている。役者も作家も世代交代しなければ続かないわけだが、次から次へと新人を投入しながら続いている。それだけの「長寿番組」でもあるから、関西エリアの人なら子供時代から馴染んで、知らない人はないくらいだ
一方の「松竹新喜劇」は、1990年(平成2)に藤山寛美が亡くなって、3代目渋谷天外を立てて「新生松竹新喜劇」をスタートさせたが、短期間の興行を年に数回公演する程度となって、人気も知名度も落ちていった。とは言いながら、松竹新喜劇は、明治以来の曽我廼家喜劇の伝統を継いできた劇団で、大阪の人にとっては、生き続けてもらいたいと願う気持ちや切なのである。きれいな大阪弁が流れ、人情と笑いで包まれた「泣き笑い」の芝居は、大人の喜劇として大阪人の心を捉えてきた。
今回の興行は、1ヶ月の本格的興行である。「新生松竹新喜劇」が、「劇団創立60周年」を機に「新生」をとって、「松竹新喜劇」と名乗り、劇団員ばかりではなく、松竹新喜劇ゆかりの役者38人が勢揃いして、二本の芝居を演じたのである。三代目渋谷天外、高田次郎、小島慶四郎、小島秀哉、曽我廼家文童、千草英子、それに藤山直美も出演、松竹新喜劇らしい芝居が見られたのである。もっと早くに、こうした関係者勢揃いの芝居が打てていたらと思わずにはおれなかったが、よくぞ復活したものだと拍手をおしまなかった。とは言え、主要役者の高齢化はいかんともし難く、お婆ちゃん役の千草英子は81才という。その年でよくぞ演じきれたと感心したが、元気なうちに次の世代への継承を是非果たしてほしいと思う。
『裏町の友情』は名作の一つで、松竹新喜劇の特徴をよく表した演目である。隣り同士のクリーニング屋(渋谷天外)と炭屋(高田次郎)の喧嘩は町内でも有名で、親の代から続き、その悪態とその言葉の裏に潜む友情とが、涙と笑いを誘う。隠された友情にほろっと泣かされ、と思ったら悪態喧嘩に笑わされ、まさに「泣き笑い」なのである。
「泣き」の感動と「笑い」の感動は、一見矛盾しているが、それを共在させて人を感動させるところに松竹新喜劇ならではの特徴がある。これも私たち庶民の生活をよく反映しているからではないかと思われる。私たちの日常生活は、矛盾に満ちているが、本当に喧嘩別れしてしまってはおしまいなのだ。矛盾を共在させていく力が笑いにはあり、そこが喜劇となるゆえんであろう。
もう一つの『はなのお六』は、かつての寛美に代わっての藤山直美の独壇場で、滑稽ぶりが特徴で、笑いを誘い、舞台も華やかにフィナーレを飾るにふさわしかった。直美ファンはたっぷりと直美の芝居が楽しめ、気分すっきり笑って家路につけたのではないか。
(2009年11月号)