笑い塾③赤ちゃんの「笑い」はお母さんへのサイン

 桜の花が散ると新芽が吹き出し、新緑が映えるようになる。山が薄緑色に色づいて明るい感じが出てくると「山が笑う」という。漫才なら「山が笑ったらやかましくて仕方ない」となってしまうだろうが、面白い表現だ。
 柳田国男は、「女の咲顔」という一文のなかで、「エム」と「ワラウ」を区別して「咲顔」をエガオと読ませている。「咲く」は花のつぼみが開いて美しく光り輝くことを言うわけであるから、その感じを伝えようと思えば「笑顔」よりも「咲顔」の方がふさわしい感じがしないわけではない。
 今年の花見は好天気に恵まれて、たっぷりと桜花爛漫を楽しむことができた。満開の桜の下を通り抜けるのは、何か別世界を通るかのような気持ちにさせられ、行き交う人々の顔には、笑顔が浮かんでいるようであった。花の「咲く」は人の心の「咲く」に通じるところがあるのかも知れないという気がしたものである。心が開いて思わずニコッとしてしまうのだ。
 今では私たちは「笑顔」と書くし「笑む」「笑う」と全て「笑」の字で統一しているが、私はこれでよいのではないかと思っている。何故なら「エム」と「ワラウ」を区別するのではなく連続的に捉えておきたいと思うからである。赤ちゃんが生まれ出て初めてみせる「微笑」から大人が哄笑する大笑いまで、私は人間が潜在的にもつ「笑いの能力」がその時々の条件に応じて顕在化したものとして考えておきたいからである。
 赤ちゃんが最初にみせる笑いは「新生児微笑」と言われる。その顕在化は、個人差があって、生後4日後とか10日後とか、さまざまであるが、微笑が現れるのは確かである。人種・民族を問わず、人類は一様にそうした微笑を示すと言われている。またこれに気づいたお母さん達は「可愛い!」と反応するに違いないとされている。新生児微笑は、赤ちゃんが意図して発するのではなく、本能的に現れるものであるのだが、意味がないわけではない。お母さんがどう受けとめるか、普通は「あ!笑った。可愛い!」と反応するはずなのである。赤ちゃんからすれば、お母さんに「可愛い!」と思ってもらいたいというサインを送っていると考えられる。お母さんに可愛がってもらわないと生きて行けないからだ。周期的にサインは送られ続けるが、親が気が付かず、かつ無関心であったら、子への愛情に問題がでてくるのではないかと思われる。
 私の嫁に産院での経験を訊いたが、「新生児微笑」については、スタッフの誰も注意を促してくれなかったという。笑顔を通じての母子の相互作用がとても大事な母子関係を築いていくのだから、母親へのインストラクションに「新生児微笑」を見守るようにとの注意喚起があってもよさそうにと思ったものだ。
 エラスムス(1467-1536)は『痴愚神礼讃』(渡辺一夫・二宮敬訳、岩波文庫)のなかで書いている。「注意深い自然は、生まれたての嬰児にこういう魅力を与えて、嬰児を育てる人々の苦労を楽しさでつぐなえるようにし、おとなたちの保護をまんまと手に入れられるようにしているのです」。(2009年6月) 

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