②「笑い」があって「福」がやってくる
「笑う門には福来る」という言葉は、いつ頃から言われるようになったのか分からないが、なかなか味の深い言葉で、私の好きな言葉である。まず「笑い」が先にあって、笑うから、その後に「福」がやってくると言っている。「福」が先にやってきて、それから「笑い」が起こるのだとは言っていないのである。
普通なら、何かハッピーなことが先に起こって、そうだからこそ「笑い」が生じるのだと考える。私たちの普段の生活はそういうことになっているのではないか。試験に合格できた、就職ができた、ハッピーな結婚ができた、仕事で褒められた、良き友人にめぐり合えた等々、ハッピーな事が起こると、当然のことながら満面に笑顔が浮かぶし、笑って会話もはずむことになる。しかし、ハッピーなことは得てして長続きしない。
現実の世界では、ハッピーな事はそんなに起こらないのが普通である。人によったら、ここ数年はハッピーな事に出くわしたことがないとか、どちらかと言えば、不幸な目にばっかりあっているという人が多い。良い成績はとれず、就職試験には失敗するし、給料はカットされるし、貸したお金は返ってこないとか、祝福された結婚がすぐに破綻したり、現実にはアンハッピーなことに見舞われることが多い。
耕さない土地が荒れるように、私たちが生きる現実世界は、良くしようと努力していても荒れ勝ちになる。アンハッピーな事が次から次へと押し寄せる。毎日のニュースを聞いていても、どうしてこんなに不幸な事が毎日起こるのかと不思議な気さえしてしまう。福を求めて努力していても、福がやってくるのは極めて僅かで、専ら不幸に出くわすことが多い。ハッピーな事があって笑いがやってくるというのであったら、普通の人間は殆ど笑うことがないということになってしまう。それでは困るわけだ。
そこで、まず笑いが先にあるのだと考えればどうか。まず笑うのである。そうすると気が明るくなり、元気もつき、ひと様にも明るい印象を与えることができる。笑いが自他を含んで明るい空気を作りだしてくれる。ここが大事な点で、明るい空気がまわりにできれば、その明るさに誘われて人が集まり、会話もはずみ、交流が起こり、人間関係が発展する。そういう流れが福をもたらしてくれるわけだ。「笑う門には福来る」のである。
去る3月8日(日)、名張市武道交流館で「名張市障害者相談センターなびっと」主催の「ともに生きる~トーク&コンサート」の催しに招かれた。「障害のある人もない人も共にくらしやすい街を目指して」が、催しの趣旨であった。
私は、まず「笑い」が先にあることの重要性について話し、そうすることで、自らを元気づけ、明るい空気を呼びこむことが大切ではないかと話した。福が先にあって、与えられるのを待っているのではなくて、自らが先に笑うわけである。
「笑うのは幸福だからではない。むしろ、笑うから幸福なのだと言いたい。食べることが楽しいように、笑うことが楽しいのだ。だが、まず食べることが必要である」(アラン著串田孫一、中村雄二郎訳『幸福論』白水社、1990)。