NHKラジオ第1放送「ラジオ深夜便」-1- 2005年7月7日午前0時10分~20分
笑う前と笑った後では変化が起こる
「笑う門には福来る」という言葉がありますが、この言葉は古くから言い伝えられてきて、誰しも一度ならず聞いたことがあると思います。私は、「笑い」について考えるようになって、つくづく良い言葉だなと思うようになりました。
これとよく似た言い方で、フランスの哲学者アランが、『幸福論』のなかでこんなことを言っています。「笑うのは幸福だからではない。むしろ、笑うから幸福なのだと言いたい。食べることが楽しいように、笑うことが楽しいのだ。だがまず食べることが必要である」。
まず「食べること」、つまりまず「笑ってみること」が必要だと言っています。「笑う門には福来る」というのは、まずは笑う、そうすれば福がやってくるという言い方で、この言葉は、アランの言葉にも通じているところがあるな、という気がしています。
笑うとどんな福がやってくるのか。大きな福が二つあると思います。一つは、心身の健康です。健康なくして私たちは生きていくことはできません。この世に生まれ出たら、元気に生きるということは至上命題で、元気に生きることがなかったら、人類は滅びてしまいます。この元気に生きるということに、笑いが深く関係しているというわけです。
もう一つの福には、笑いが仲の良い仲間をもたらしてくれるということがあります。人間は一人では生きて行くことができません。回りに仲の良い仲間を作って、仲間の中でこそ生きてゆくことができます。喧嘩をして、戦いばっかりに明け暮れていたら人類は滅びてしまいます。関係がこじれ、壊れてしまいますと、私たちは緊張を強いられ、憂鬱になり、気持ちが滅入ってしまいます。こころが滅入りますと、今風に言えばストレスがたまるという言い方になるでしょうか、ストレスを溜め込むと健康に響いてきます。
笑いは、直接からだに影響を与えますと同時に、こころにも影響を与えます。ここが笑いの「不思議な働き」と言いますか、笑いの独特の力と言ってよいと思います。笑うと、こころが浮き立ち、楽しい気分になりますが、それは単に心が明るくなるだけではなくて、からだにも良い影響をもたらしてくれているということがあるわけです。
私たちは、笑いが健康に良いということは、経験的に何となくそう思ってきましたが、最近の研究では、笑いは確かに良いという科学的データがいくつか発表されるようになりました。
有名になった例をいくつか紹介しますと、笑うと免疫の機能が高まるという事実です。笑うと免疫細胞のNK細胞が、どのように変化するかを調べた実験では、大いに笑った後では、NK細胞が活性化するという事実が明らかになりました。
この話を聞いてから、私は体の調子がおかしいと、笑いが不足しているな、と考えるようになり、そんな時、ビタミン補給と同じように考えて、私は、好きな漫才や落語のテープを取り出して、笑う機会を増やします。車の運転をするときにも、お笑いのテープをかけます。居眠り運転は危険ですが、笑うと必ず目が覚めます。これも笑いの効用かなと思っています。
今一つ有名な実験は、慢性関節リューマチ患者の痛みと笑いとの関係を調べたものです。痛みを走らせる物質は分かっていまして、インターロイキン6と言われています。この物質が、笑った後では、笑う前の半分以下に減ったという結果が出ています。
また新しいところでは、糖尿病患者の血糖値と笑いとの関係を調べた実験もあります。食後に面白くとも何ともない講義を聴いた後の血糖値と、漫才を見て笑った後での血糖値では、笑った後での血糖値はそんなに上がらず、笑う前と笑った後とでの血糖値の差が著しかったというデータが発表されています。笑いが血糖値の上がり下がりに関係しているという事実から、筑波大学名誉教授で遺伝子研究者の村上和雄先生は、笑いが眠っていた遺伝子を目覚めさせたのではないかと考え、そして遂にその目覚めた遺伝子をつきとめたと言います。
その他にも、笑いが身体に及ぼす影響についての科学的知見が報告されていますが、未だ、笑って悪くなったという知見の報告は一例もありません。
笑いが身体のなかに引き起こしていた変化を、私たちはこれまで知らなかっただけのことなんですね。ここにきて、確かな科学的な根拠を得て、笑いは身体に良い効果をもたらすということが分かったわけです。これは、人間は何故笑うのかの説明根拠にもなります。
笑う前と笑った後とでは、からだに変化が起こる、ということが分かってきたわけですが、このことは、こころについても言えることではないか、と思うのです。
大阪商人の間では、「不景気になったら寄席が流行る」という言葉が古くからありました。
不景気になって、もう倒産か、どうしようかという難局に、商人は何度となくぶつかります。そんなつらいときには、寄席に飛び込んで、笑うことにつとめよ、というわけです。
舞台を見つめて、暫しの時間、笑ってみると、笑う前とでは、ちょっとは違った自分になれるということを言っているんですね。
笑っている間は、嫌なことを忘れてしまいます。吹っ飛んでしまいます。もし、笑っている間に、嫌なことが思い浮かべば、笑いは消えてしまいます。暫しの間、笑いが、この憂さを吹き飛ばしてくれる。ここが笑いのすばらしいところですね。笑いますと、こころにゆとりが生まれます。こころにゆとりがうまれませんと、悩めば悩むほど苦境に落ち込んで行きます。落ち込んでいる自分を切り離し、ちょっと違った自分になれます。笑いは、落ち込みを断ち切って、本来の自分を取り戻す切っかけを与えてくれます。
笑う前と、笑った後とでは、体においてばかりでなく、こころにおいても、ある種の変化が起こっているのだということを知っておきたいなと思います。