産経新聞 関西笑談8

産経新聞 [2004年08月3日 大阪夕刊]

【関西笑談】笑いを学問する(8)関西大学名誉教授 井上宏

聞き手 荻原征三郎記者

◆正月はええ顔せんとあかん

 荻原 「笑いの効用」については、すでに神代の時代から伝えられていますね。

 井上 天照大神の神話をどう解釈するかですね。天照大神が天の岩屋戸にお隠れになり、世の中真っ暗闇になってしまった。出てきてもらおうと八百万の神々が集まり、岩屋戸の前でアメノウズメノミコトが踊るのを見て、やんややんやの大喝采。そのにぎやかさに天照大神がついのぞき見したところをぐいと引き出され、ふたたび明るくなった。簡単に言えば、こんな話ですよね。つまり闇夜の世界に光を取り戻すきっかけになった笑いは福を呼ぶ力、源であるということでしょう。

 荻原 落ち込んだときに「ここは笑わなしゃあない」というのは居直る一方で福を呼びたいという願望でもある、ともいえませんか。

 井上 山口県防府市に伝わる「笑い講」がよく知られています。十二月の第一日曜日に、人々が集まってワッハッハと笑いあう神事ですが、大いに笑うと神様も笑ってくれるだろう、神様が笑ってくれれば幸せがもたらされるという信仰が根底にあるのです。また幸せは豊作に通じ、笑った人も気持ちが明るくなる。そしていい顔をして新しい年を迎えたいということもあったでしょうね。

 荻原 こどものころ、「正月くらい兄弟けんかをするな」と親にしかられましたなあ。

 井上 それで思いだしました。正月には道頓堀の中座で家族そろって松竹新喜劇にいくのがわが家の決まり事でした。それもます席でお茶屋から弁当まで取ったりしましてね、思えば豪勢なもんでしたなあ。正月早々なんでこんなことを、と内心不満でしたが、今「大阪」を考察するようになって「おやじがなぜ正月の新喜劇にこだわったのか」と思いをはせるようになりましたな。

 荻原 お父さんはどんな思いからご家族を中座に連れていったのでしょう。

 井上 正月は家族一同ええ顔せんとあかん、ということでしょうな。だから新喜劇だったわけでしょう。大いに笑って明るい気持ちで楽しく新年を過ごそうと。今になってわかるおやじの気持ちですが、ごく普通の大阪商人の家庭でのことなんですよ。

 荻原 笑う門には福来る、ですな。

 井上 大阪商人の間では昔から「不景気になれば寄席がはやる」と言われたものでした。「泣いてる暇があったら、笑うてこませ」という言い方もあった。商いに競争はつきもの。激しい競争は精神的なストレスを生む。それだからこそ笑いが求められるのでしょう。大阪の笑いの文化はたまさかの慰みものではなくて、あってくれなければ困るものです。そんなことで大阪商人の人生観や生活観と笑いには切っても切れない関係があるのでしょう。

 荻原 人間関係が複雑になればなるほど、笑いのある社会、笑いの文化のある社会は、高度に成熟した社会といえるのではないでしょうか。

 井上 その通りです。成熟とは心にゆとりがあること。ユーモア、冗談、しゃれをよく理解しあえる社会であって、人間関係がギクシャクしても笑いを介して次のステップに移ることができるのです。成熟していないと、いつまでもわだかまりが解けず、けんかになるかもしれない。笑いは社会の潤滑(じゅんかつ)油といったのもそういう意味からです。