産経新聞 [2004年07月30日 大阪夕刊]
【関西笑談】笑いを学問する(5)関西大学名誉教授 井上宏
聞き手 荻原征三郎記者
荻原 大阪と笑いについてうかがいましょう。どんなことから「大阪」と「笑い」の関連に着目されたのですか。
井上 大学を卒業してテレビ会社に就職しました。新聞社もそうでしょうが、番組の企画書を出せ、となるわけですよ。やっぱり大阪では、お笑い系の企画が通りやすい。それがきっかけといえますかなあ。
荻原 いやあ結構生々しい動機ですね。
井上 父親のおかげで大阪の芸能には、こども時代からなじんでいましたからね。企画書がきっかけで、もうすこし詳しく調べてみるか、という気になった。そうすると大阪の人は実に笑いが好きなんだなあ、ということがわかりましたな。それからですね、「大阪」に興味を持ったのは。自分の育った街でもありますからね。
荻原 同じサラリーマンでもそのあたりから違ってくる。
井上 商人の町、町人の町といわれるが、調べてわかったことは、大阪は伝統的に「口の文化」だということ。怖い顔をしていたらだれも近寄りません。口の文化は笑いが基本になるのです。商は笑なり、ですね。
荻原 商いは笑いに通じるということですか。
井上 商人の町は「ヨコ型社会」、武士の町は「タテ型社会」。この歴史的な社会の構造、仕組みの違いが、大阪と東京の笑いに対する態度というか認識というべき点で相違があるのです。商人は腰を低くして、お愛想笑いもしなければ商売になりません。いばっているようでは、だれが買うたるか、となる。言葉もそうでしょ。たとえば語尾につける「ねん」「な」は語感をやわらげる効果があるのです。お客の注文に「ありません」と言い切ると、ちょっときつい。そういう時に「おまへんねん」とか「今切らしてまんねん」と「ねん」を付けると「ああ、さよか」と引き下がれるような感じになります。あいづちでも「そうや」より「そうやなあ」といえばやわらかな感じになる。これがヨコ型社会・商人の町の知恵というものです。
荻原 タテ型社会ではそうはならない。
井上 タテ型社会というのは上下関係が厳しい社会です。階級制度で対等ではないのです。だからうっかり笑い顔を見せようものなら「無礼者!」となりかねない。笑っただけで首が飛びかねないのですよ。これではかないませんね。相手が自分より上なのか下かの確認が絶対欠かせないわけです。言葉にもでています。「言え」という命令形でも、大阪弁では三十四通りあるのに、共通語はわずか八通りしかないそうです。これは東大の尾上圭介先生の著書にある話ですが、微妙な言い回しもタテ型社会では誤解のもとになるだけなので、意思表示の方法も多くはいらないのかもしれませんね。
荻原 言えよ、言わないか、言いなさい。いえや、いいんかいな、ゆうてんか、いいなはれ-なるほど。おもしろいですねえ。そうそう肝心の番組企画の方はどうなりました。
井上 仲間と一緒に提案しようやないか、と皆で考えましてね。企画を練ったのが「上方お笑い大賞」の制定。うまいことに通りましたな。年に一度の番組ですが、今年で三十三回を迎えます。しかもわたしは第九回目から審査員になっているのですよ。生みの親のひとりとしては、なんともうれしい限りです。