追手門学院大学笑学研究所発行 「2015年度年報第1号」 掲載原稿再録

第1回笑学研究所公開講座
時間:2016年2月29日(月) 場所:(於)茨木市立男女共生センター
講演:笑いの効用〜笑って元気に生きる
講師:井上 宏(追手門学院大学笑学研究所所長)

はじめに

当研究所は、昨年10月1日に設立され、はや5ヶ月が経過しました。10月8日に記者会見を開き、その誕生を広く社会の皆様に告げることができ、11月26日には、設立記念シンポジウムを開催しました。そのときも多くの地域の皆様の参加を得ましたが、本日、研究所の第1回公開講座にも、満席の参加を得ましたこと、厚く御礼申し上げる次第です。

こうした公開講座を研究所としては、年に3〜4回は開催したいと考えております。新年度の4月からは、大学に「笑学入門」という科目が開設されます。それには、全体の2割以内で一般市民の方々も受講可能となっていますので、ご興味のある方は、そうした機会もご利用いただければと思っています。

本日は、時間が50分と短いのですが、笑学研究の一端に触れていただけたら幸いです。

1)「笑う門には福来たる」の「福」とは

古くから「笑う門には福来たる」と言いますが、その「福」とは、どんな「福」を意味しているのでしょうか。私は、三つの「福」を考えています。先ず一つは「心身ともに健康」である「福」。二つは「仲間と仲のよい関係」の「福」。そして、三つ目に「自然の恵み」の「福」を挙げておきたいと思います。

生きていく上で、心身ともに健康であることは、極めて重要なことで、健康であってこそ、安心のできる日々の生活が保障されるわけで、誰でもがそうありたいと願っています。その健康にとって「笑い」が必要なのです。まだ薬も医学の知識も何もなかった時代から人間は笑うことによって元気を回復してきたと思います。笑いは一種の自然治癒力として働いてきたと考えられるのです。「笑うことは健康に良い」ということは、経験的事実として言われてきましたが、科学的知見として、実証され出したのは、ここ20~30年前頃からです。しかし、まだまだ分らないことが多くて、実証実験が続いています。

人間は一人では生きていくことが出来ない生きもので、必ずまわりの人たちの世話になり、仲の良い関係があってこそ、生きていくことができます。関係が壊れ、敵対状態になると争いが起こり、争ってばかりしていては、共倒れになって、やがて人類は滅びてしまうことになります。この仲の良い関係、親和的関係を築くのに、笑いが役立ってくれています。近くでは家族の関係、友人との関係、地域や職場での人間関係など、ひいては国際関係においても同様のことが言えると思います。

三つ目に挙げました「自然の恵み」は、私達の環境としての自然が、穏やかで恵みをもたらしてくれることを言います。地震や津波、洪水などの災害が及ばないよう、私達は自然の神々に祈ります。笑いを神々に奉納して「自然の恵み」を引き出そうと考えるわけです。人間が笑えば、田や山の神も海の神も笑ってくれるだろう、神々が笑ってくれれば、恵みがもたらされると、日本人はそういう信仰をもって生きてきました。現在でも、そうした神事が日本全国の農漁村に多く残っています。恵みをもたらす自然は私達の大きな「福」と考えられます。

2)笑いは実践

「笑う門には福来たる」の考えは、「福」の前に「笑う門」が先に置かれています。これとよく似た言い方が、西欧にもあることを知りました。それはアランの言葉です。

「笑うのは幸福だからではない。むしろ、笑うから幸福なのだと言いたい。食べることが楽しいように、笑うことが楽しいのだ。だが、まず食べることが必要である」(アラン『幸福論』串田孫一・中村雄二郎訳、白水社)。

この言葉の前段はよく引用される言葉で、私も自らによく言い聞かせます。「笑うのは幸福だからではない。むしろ笑うから幸福なのだ」という言い方は、「笑う門には福来たる」の言い方によく似ています。いずれも「笑い」が先にあることです。

アランの言葉で面白いのは、「笑い」を「食べる」ことになぞらえているところです。食べることは、実践ですし、美味しいかどうかは食べてみないと分らない。美味しそうな風に見えても、食べないと美味しいかどうかは分らないのです。笑いも、それと同じで「笑ってこそ分る」わけです。食べることに、好きづきがあるように、笑いも同様で、人によって好きづきがあります。笑いは多様にありますが、自らが笑ってこそ、笑いが分るというものだと思うのです。

3)笑いの効用〜身体に対する効果

人間は心と体の統一体で、心の動きが体に、体の変化が心にと、相互は深く結びついていますので、笑いを考える時、心の問題と同時に身体のことも考えなければならないのですが、一応分けて考えることにします。

(1)身体の健康に対する効用

経験的には笑いの効用を知ってはいましても、それを科学的に立証する知見を持ち合わせませんでした。

アメリカの著名なジャーナリストのノーマン・カズンズが、突然「膠原病」に罹って、主治医から治療方法がないことを告げられます。1964年のことで、彼は49歳でした。この時に、彼はさまざまな医学論文を読みあさり、ビタミンCの大量摂取と「笑うこと」が効くかも知れないというヒントを得ます。そしてそれを実践します。笑うことの効果が現れて、彼は遂に膠原病を克服してしまいました。そして、その体験記の本を1979年に出版します。この本は翻訳され、『笑いと治癒力』(岩波書店1996、岩波現代文庫2001)という題で、私達も容易に手にすることが出来ます。

本を読みましても、膠原病を治すのに、笑いが身体にどのように影響を与えたのか、その医学的なメカニズムについては、何も書かれていません。要するに分らないのです。分るのは、カズンズの考え方です。彼はこう考えます。

「ネガティブな情緒が人体にネガティブな化学変化を起こすのとまったく同様に、積極的な情緒は積極的な化学反応を生じる」(前掲書『笑いと治癒力』)。

つまり、心が落ち込むと体に変調をきたしますが、心がポジティブであれば、身体の方にもポジティブな影響が現れるという考え方です。笑うことは、ポジティブな心の働きですから、身体にポジティブな何らかの効果を生んだのだというわけです。身体の中で何が起こったのかは、明らかでないのですが、何かが起こったとカズンズは考えたのです。問題を提起したわけです。

アメリカでは、1980年代に入って、笑いと身体の変化についての実験・研究が始まります。日本では90年代に入って、医師たちが患者を使っての実験に乗り出します。先ずは、笑いが免疫をつかさどるNK細胞を活性化するという事実が明らかになります。1991年のことです。それに端を発して、笑いが慢性リューマチ関節炎の患者の痛み緩和にどのように役立つのかといった実験も行なわれ、1995年にその効果の知見が発表されます。そして、2003年には笑いが糖尿病Ⅱ型の血糖値の抑制に笑いが役立つという事実も、実験によって明らかにされました。

私達は知らなかっただけで、そうした笑いの医学的効用は大昔からあったに違いないわけです。僅かな例で分りますように、笑いが身体の健康に効いているという事実が、なんとなくそうなのだという知識としてではなく、科学的知見として認識されるようになってきました。「笑学研究」にとって、この意義は大きいと言わなければなりません。もっと多くの実証実験のご紹介をしたいのですが、時間の都合で省略させていただきます。

(2)心に対する笑いの効用

心への笑いの効果についてですが、身体への効用を測るように測ることが出来ないという問題があります。身体への効用については、例えば、血液を採取してNK細胞の数をカウントするのですが、それを笑う前と笑った後とで比較することが可能で、前後の数値の差によって、笑いがNK細胞を活性化したかどうかを判定します。

笑うと心にどんな影響が及ぶのか、笑う前と後とで比較すると言っても、比較の対象とする「もの」がありません。笑うと放出される脳内のホルモンを調べてという方法もありますが、ホルモン分泌の量の変化を知ったからと言って、心の動きの変化を知ることはできません。心の変化は、意識の働きであって、笑う前と笑った後との「意識の変化」を自らが察知するという方法しかないように思います。笑う前にあった自分と笑った後の自分を、笑い終わってから、自らが反省して、変化を知るという方法しかないのではないかと思われます。

笑いの効果は、笑う前と笑った後との比較で語られますが、笑いには「笑っている最中」というのがあります。この「最中」の問題は、まさに笑っている最中に笑いの効果が現れるわけで、笑学研究の大変重要な研究課題でもあります。

「笑っている最中」の特徴について考えてみます。

①笑いは息を吐きます。そして「ハッハッハ」と段階的に吐ききります。息を吐くことで、全身の力が抜けます。つまり体の緊張が解けます。神経で言えば、副交感神経が刺激され、血液は手足の筋肉から内蔵へと向かい、体はリラックした状態になります。笑顔一つでも、息を吸い込んで力を溜め込んでは、顔がこわばってできません。力を入れると攻撃の態勢になり、力を抜いてこそ柔らかな笑顔も可能となります。笑いの「緊張緩和」の作用です。

 ②笑いの対象に注意を集中する。例えば、落語の舞台を見ていて笑い出して笑いが止らない。断続的であっても、「アッハアッハ」と笑いが続くとします。こんな時、私達は我を忘れて笑っています。笑っている最中に雑念が浮かんだとしたら、笑いは止まります。笑いに没頭して他には何も考えないということです。この「我を忘れる」ということが重要なのです。「笑いの無化作用」とも言えます。

 ③我を忘れて笑う。ということは、笑う前にあった現実の自分、つまり生活の中で背負っているさまざまな束縛から一時的にしろ、解放されるということを意味します。例えば家庭内で喧嘩が絶えないとか、借金取りに追われているとか、いじめにあっているとか、悩んでいる自分、失敗した自分など、現実の自分というのは、まさに現実のさまざまなしがらみや悩みを背負って生きています。そうした笑う前の自分、つまり現実の中の自分を笑い飛ばすわけです。これは「笑いの解放作用」と言えると思います。

例を一つ挙げてみます。不登校で引きこもりになった中学生男子の話なのですが、自室にこもってしまって、学校に行かなくなり、親も先生も困り果ててしまいます。なぜなら本人は何も話さないので、不登校の原因が掴めないわけです。「いじめ」かも知れないと推測しますが、本人が何も言わないので次の手が打てないわけです。そこで父親が大阪の友人に相談したら、友人は「なんばグランド花月」(NGK)に連れて行って笑わせ笑わせ。笑てくれたらええねん」と助言。父親は言われるままに、子どもをNGKに連れて行きます。少年は、漫才から新喜劇と一通り見たわけですが、父親の報告では、少年は結構笑ったそうです。そういうことがあって、数日後に少年は、誰からも何も言われずに、自分から学校に行き出したというのです。親にしてみれば、少年の心に何が起こったのか、さっぱりわけがわからないと言います。相談を受けた友人は「学校へ行くようになったら、それでええがな、よかったよかった」という次第で、この話は終わりなのですが、私は、この話を聞いて大変感銘を受けました。

「笑わせ!」と忠告した友人は、理屈は分らなくても、自らの経験から笑いの効用をよく知っていたのだと思います。俗に言う「笑い飛ばす」という知恵です。私は、この少年の行動をこんな風に解釈できるのではと考えています。

劇場で「笑った」ことが、少年の意識に変化をもたらしたのではないか。笑ってみることによって、「気持ちが楽になった」「心が軽くなった」と思います。

現実の縛りで落ち込んでいた自分が遠ざかり、それをちょっと距離を置いて見る自分が現れたと言ってもよいわけです。自室に閉じこもって、自分は一体何をしているのだ、こんなアホなことをしていて、という自らを見つめ直す自分が現れてきたのだと考えられます。本来の自分が戻ってきたような感じになったのではないでしょうか。笑うことによって「ゆとり」が生まれ、縛られた自分を、まさに「ゆとり」を持って見つめることができ、自らの力で立ち直ったと言えると思います。つまり、「本来の自分」を取り戻したわけです。私はこれを「笑いのゆとり効果」と呼んでいます。

人間は生きていく上で、心に「ゆとり」が必要です。毎日、仕事に追われて忙しく暮らすなかで、私達は「ゆとり」を失いがちです。下ばっかり見て一生懸命に草を食む羊がいるとします。真面目で一生懸命なのですが、時々は首をあげて、まわりを見渡すことが大事です。それを可能にするのは「ゆとり」で、言い換えれば「ユーモア精神」と言いかえることもできます。

4)人間関係に及ぼす笑いの働き

①まず「笑顔」の重要性についてです。笑顔は、どんな人種・民族にもあって、人類共通に見られる表情です。言葉ではありませんが、笑顔の表情はどんな人間にもあって、互いに通じ合える意味を持っています。それは、「戦わない」「敵対しない」という意味です。笑顔は、力を抜いて戦闘態勢に入っていないということを示します。従って、笑顔と笑顔で出会えば、「戦わない」ということを前提にすることになります。初対面で、両者に笑顔がなく、にらみ合いとなったら緊張が走ることになります。言葉が通じなくて、こういう状態になれば「やるか!」という感じになって危険です。

笑顔はまず相手に安心感を与えます。そういうことから笑顔は、状況によって、誘い・歓迎、好意・好感、安心・安全、喜び・幸せ、お礼・感謝、同意・承認、癒しなどを意味することになっていきます。笑顔は時と所によって、言葉にはない意味を伝えてくれます。

笑顔をめぐる話は多くありますが、こんなエピソードを一つご紹介しておきます。ある高齢のおばあさんの介護に当たっている娘さんの話です。自分の母親には全然笑顔がないと言うのです。娘さんは、母親から何も「ありがとう」とかの言葉を期待していませんが、ちょっとぐらい笑顔を見せてくれてもよいではないかというのが娘さんの嘆きであるわけです。

この娘さんの気持ちはよく分るような気がします。娘さんの笑顔に、ちょっと応える笑顔がおばあさんにあれば、それは「幸せ」や「感謝」などを伝えることになり、それだけで娘さんは救われるのではないかと思います。

②次に「共に笑い合う」ことの意味について考えてみます。家族や友人、会社の同僚やご近所の方々にしろ、一緒に笑い合い、その場の笑いを共有することになりますと、互いの距離が近くなったような気になります。互いの間にあった距離感が飛んでしまいます。仲の良い仲間では、笑いがよく起こり、ともに笑い合うことで、一層親密感や一体感が強まります。私は、こうした笑いの働きを「笑いの親和作用」と呼んでいます。

最近の家族は、それぞれが忙しく、食事を共にする機会も減ってきています。スマホなどの情報機器の発達で、連絡は簡単に取れるのですが、家族が一堂に会する機会が少なくなってきたように思います。とうことは、みんなが揃って笑い合う機会が減ったと考えられます。笑いの感情を共有する機会が減ったとしますと、家族の親密感や一体感はどうなっていくのか心配です。私達は、あらためて「笑いの親和作用」についての認識をあらたにしたいと思います。

③笑顔と笑いの明るさ

笑顔は人の笑顔を誘います。笑顔の人に出会うと、その笑顔は伝染します。

笑顔があれば、まず安心できます。笑顔にはそうした人を誘引する作用があります。詐欺師でも、この「誘引作用」をうまく使って、誘いをかけてきます。

職場でも素晴らしい笑顔をたたえている人が一人いれば、職場が明るく感じられます。笑顔はその場を明るくします。笑いが入れば、場は一層明るくなります。

ある小学校の校長先生から、こんな話を聞いたことがあります。「学級破壊」の現象が小学校に広がって、それで困っていた小学校に赴任した校長さんの話です。荒れた教室をどのようにして回復させるかということで、その校長さんは、あるキャッチフレーズを作ります。「笑顔いっぱい!元気いっぱい!勉強いっぱい!」のスローガンです。

校長先生は、まず自分が先頭に立ち、朝は校門に立って、登校する生徒達に、まず「おはよう!」と声をかけ、必ず「笑顔いっぱい!元気いっぱい!勉強いっぱい!」の呼びかけをします。教室に立っても、授業の開始は、このスローガンの呼びかけを繰り返します。生徒もそれにならって、「笑顔いっぱい!元気いっぱい!勉強いっぱい!」を大声で返します。この校長先生の運動が、他の先生にも、教室にも広がり、そして家庭にも広がっていきます。子ども達が家に帰っても言うのでしょう。教室をはじめ、学校全体が明るくなっていきます。明るくなった教室では、「学級崩壊」もなく、逆に子ども達の学業成績も上がっていったと言います。場が明るくなるということがとても大事なことと思われます。笑顔と笑いはそれに寄与してくれるわけです。

5)笑いとコミュニケーション

人間は他者とのコミュニケーションなくしては生きていけません。コミュニケーションを通じて、何らかの人間関係ができるわけですから。

コミュニケーションの手段は、言葉だけではなく、表情や身振り、衣装やアクセサリーなど、言葉によらない「ノンバーバル・コミュニケーション」の手段もあります。笑顔は優れた「ノンバーバル。コミュニケーション」とも言えます。ここでは、言葉によるコミュニケーションの問題を、笑いの観点から考えてみます。

会話やスピーチにおいて、笑いやユーモアが入ると、話し手と聞き手との距離感が縮まります。洒落やジョーク、ユーモアが入りますと、聞き手の緊張がゆるまり、話し手が話しやすくなります。

私が電気店で買い物をして、値引きの交渉を店員さんとします。テレビを買ったのですが、もっとまけてもらおうと、「そのテレビの台もつけといてーな」と言いますと、店員も負けてはおらず、「そんなことしたら台無しでんがな」と洒落で応酬してきます。ここで買い手の私は「上手いこと言うなあ」と笑ってしまい、両者が大笑いしてしまいます。そこで決着です。私は台をつけてもらえませんでしたが、値引きはしてもらったわけです。

交渉事において、互いに主張をまげないでいると、当然のこととして交渉は

成立しません。お互いに距離を近くにとって、妥協をはかっていくのが交渉事ですが、この妥協をはかるという点が難しいわけです。洒落やジョーク、ユーモアが入って、両者が笑い合うと互いの距離感が縮まります。

会議などにおいて、主張がぶつかりあって、議論を重ねても平行線をたどるときがあります。論理的に話を詰めれば詰める程に、対立が深まっていったりします。ここで面白いユーモアが発せられ、皆が笑ってしまいますと、それまでの議論が吹っ飛んで、議論を蒸し返すことができなくなります。平行線のアホらしさに気がつくのだと思います。笑うことによって、緊張が一挙に崩れて妥協が生まれます。矛盾はしているけれども、とりあえず争いは避けるという配慮が生まれます。私はこれを笑いの「矛盾同一化作用」と呼んでいます。

コミュニケーションにおいて、その場の緊張や対立をタイミングよく氷解したり、棚上げしたりできるようなユーモアは、なかなか簡単ではありません。

ユーモアが大事と思っていても、その場ですぐには出てきません。私自身も、ちょっとは気の利いたことを言ってみたいと思うのですが、なかなか出てきません。

6)笑いは楽しさを生む

笑うことは楽しいです。楽しい営みです。中には、人生において笑ったことがないという人もあります。苦労の連続で、笑ったという記憶がないという人もいますが、私は、一度も笑ったことがないと言う人はいないと思うのです。なぜなら、笑いがなくては、人間は生きていけないからです。表向きでは笑えなくても、隠れて笑ったということはあるはずです。

私は、笑いを欠きますと、時々笑ってみたくなります。大阪では「笑いにでも行くか」と寄席に行きます。笑いを求めて行くわけです。私は、テレビで漫才・落語が放送されますと、自然とその方に惹かれてしまいます。笑えない時もありますが、笑うときはまさに「我を忘れて」笑っています。そして楽しい想いをします。

楽しいエンターテイメントは、「お笑い」に限らず、楽しければ笑ってしまいますし、笑ってまた楽しくなります。

笑いのある所は、明るいですし、明るいところに人は集まってきます。笑い声が聞こえますと、何か面白いこと、楽しいことがあるのかなと人の気を惹きます。私たちは「生きる」ことが少しでも楽しくなるようにと思っています。

大阪では、とりわけそういう「楽を求める」気持ちが強いように思われます。

美味しいものを食べたい、面白いものを見たい・聞きたいという欲求が大変強いです。大阪では古くから落語や漫才、喜劇などの「お笑い」の芸能が発達してきましたのも、熱心な「楽の追求」があったからだと思います。

最後になりますが、本日の「笑いの効用」のポイントとしてまとめるとしますと、笑いは「心にゆとりを生む」ということ、そして「明るさを生む」という二点を強調しておきたいと思います。

ご清聴ありがとうございました。

以上

(参考文献)井上宏『笑いの力』(関西大学出版部、2005)、井上宏『笑い学のすすめ』(世界思想社、2004)など

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