産経新聞 [2004年08月7日 大阪夕刊]
【関西笑談】笑いを学問する(12)関西大学名誉教授 井上宏
聞き手 荻原征三郎記者
◆人間であることの証し
荻原 現実社会とメディアを介して経験する仮想(バーチャル)社会との区別がつきにくい時代になってきました。
井上 わたしは「現実世界」と「メディア世界」と呼んでいます。現実世界は五感を働かして直接的に感じ認識すること、つまり全身感覚をもって対象物に接する世界です。当然遠くのものは見えないし聞こえない。見ようと思えばそこまで出掛けなければならないし、メッセージを伝えようと思えば運ばなければなりません。一方間接的ではあるが、見たり聞いたり知ったり、人と出会ったり、取引できるようになり現実世界の時間と空間の制約から解放された社会がメディア世界です。わたしたちに問われるのは現実世界とメディア世界とのバランス感覚だ、と思います。
荻原 メディアに取り囲まれた生活ではコミュニケーションのあり方も変わってきますね。
井上 どんなメディアと接触しているかで、その人の生活のあり方を特徴づけることができると思います。人と人が直接コミュニケーションする時代だったら、それは問題にならなかったでしょう。しかし最近のようにメディアが氾濫(はんらん)し、間接的なコミュニケーションの比重が高まると、「コミュニケーション・ライフ」という視点が必要になる。その人がどんなコミュニケーション・ライフを実践しているかで、その人のライフスタイルやパーソナリティーの形成を考えることができるのではないかということです。
荻原 ブロードバンド時代のキーワードといえますね。
井上 現実世界とメディア世界をトータルにとらえたコミュニケーション・ライフという考え方、そしてその両者にまたがるコミュニケーションのバランスがとれているのかというコミュニケーション・バランスの概念が重要と考えています。では、そのバランスをはかる目安があるのかというと、残念ながらありませんなあ。自らのコミュニケーション・ライフを省みて納得できる状態ならば良しです。その反省と自覚のため、まずこの概念をしっかりと認識することが必要でしょう。自らのコミュニケーション・ライフの診断にコミュニケーション・バランスの考え方が使えるのではないでしょうか。
荻原 メディア氾濫時代では、自分なりのバランス感覚を身につけなければなりません。
井上 メディア世界を巧みに活用し、その豊かさを手に入れながら、自らの感覚器官、身体感覚、現実世界での体験・経験をないがしろにしてはいけません。そして自らの現実世界が貧弱なものにならないよう心していかなければならないと思っています。さらにはバランス感覚を持つことが、これからの時代にあって重要さを増すと信じています。
荻原 フランス・ディジョンで開かれた今年の「国際ユーモア学会」でもそんな視点からの発表をなさいました。
井上 ケータイやインターネットで文字の交信が盛んになればなるほど直接会話は減ります。文字のコミュニケーションは用件の伝達はできるが、孤立したコミュニケーション手段で、誤解などの危険性もはらんでいます。だからこそ顔を合わせて共に笑いあうことが大切なのです。笑いは親密、信頼の源です。
荻原 人間であることの証しとして笑いの効用を認識するいい機会になりました。ありがとうございました。
=おわり