産経新聞 関西笑談10

産経新聞 [2004年08月5日 大阪夕刊]

【関西笑談】笑いを学問する(10)関西大学名誉教授 井上宏

聞き手 荻原征三郎記者

◆ユーモアには“ゆとり”の心を

 荻原 日本笑い学会の会長のかたわら昨年末まで国際ユーモア学会の理事を務めていました。いい折ですので、笑いとユーモアの違いを教えてください。

 井上 ユーモアは、医学的な起源を持つラテン語のhumor(フモール)が語源で「体液」を表す用語です。人間には血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁の四種のフモールがあり、人間の健康はこの四種のバランスで決まる、と考えられていました。ところが十六世紀末にはhumorの語が流行語のように全ヨーロッパに広まった。しかしかならずしも体液という意味で使われたのではなかったようです。そしてベン・ジョンソンという劇作家が喜劇的意味で使うことを思いつき、それ以来ユーモアは医学的用語から文学的用語になった。簡単に言えばこういうことのようですな。

 荻原 言葉の遍歴をたどると興味深い事実にたどり着きますね。

 井上 ちなみに辞書でhumorを引くと、「おかしみ」「こっけい」の次に、カタカナで「ユーモア」とあります。外来語を巧みな日本語に翻訳した明治の人もhumorを訳せなかったようで、ユーモアという単語がそのまま日本にも定着したようです。ほかの言葉に置きかえられないニュアンスを感じとったのでしょうか。わたしは今年もフランスで開かれた国際ユーモア学会に出席し発表もしましたが、そこで聞いていると、研究対象の幅は日本笑い学会と同じだなと思います。けど笑いとユーモアはやはり違うんですなあ。

 荻原 同じようで違う、ということがわかりました。

 井上 ユーモアには笑わせる刺激・原因を意味する場合と、「ユーモラスな人」「ユーモリスト」「ユーモアがわかる人」といった表現にみられるように、ユーモアという言葉には、人格や生活態度、人生観・世界観までに及ぶ意味が包まれています。それだけに定義が難しい。「笑い」という言い方に人格的な意味までも含めるのはどうかな、という気もします。しかし、わたしの「笑い学」では、ユーモアの概念を含めたいと思っています。

 荻原 偏見だとおしかりを受けるかもしれませんが、「ユーモア」にはなにかしら上品さが感じられます。

 井上 欧米では、ユーモアがわかる人は「尊敬に値する」と高く評価されているほどです。ユーモアのある人やわかる人にはゆとりがあります。人間として成熟している人、ということでしょうね。ところが日本では笑い、諧謔(かいぎゃく)、こっけいを旨とする「笑いの文化」の社会的評価は残念ながら高くはない。はっきりいえばまだまだ低い。笑うことを戒め、「笑われたら恥」というサムライ的考えが強いですから、笑われたらすぐに怒る、けんかになる。自分を笑ってみせる冷静さやゆとりに欠けますね。

 荻原 話がそこまできましたので申し上げますが、井上さんの著書「大阪の文化と笑い」(関西大学出版部)を、近くの大規模書店で探したんですよ。なんと「郷土史」という書架にありました。

 井上 わたしも経験あります。ユーモア、笑いのコーナーはまずありませんね。店員は「演芸やお笑いのコーナーにあるかもしれません」ということでした。欧米の書店ではhumorのプレートがかならずあります。ユーモアの重要性に対する社会的認識の違いでしょうかねえ。