産経新聞 関西笑談2

産経新聞 [2004年07月27日 大阪夕刊]

【関西笑談】笑いを学問する(2)関西大学名誉教授 井上宏

聞き手 荻原征三郎記者

産経新聞 関西笑談2大阪学の原点はミナミにあり

荻原 大津の小学校を卒業して大阪に帰ってきました。

井上 一家がまず落ち着いたのが日本橋三丁目交差点の北西の角家でした。まもなく近くの河原町三丁目というところに越しましたが、少年時代は日本橋三丁目周辺で過ごしましたなあ。

荻原 大阪の中心、商売人の町ですね。

井上 父親もインテリア関係の商いを続けていましたね。わたしは市立南中に入学しました。今は校舎も変わってしまいましたが、あのころは大丸心斎橋店の近くにあったんですよ。高校は高津高校で、いわゆるミナミが生活圏でした。

荻原 それでは心斎橋筋なんか遊び場みたいなもんですね。

井上 そうそう。中学校の通学路がね、千日前から道頓堀を経て心斎橋を北上するか、松竹座の映画の看板を横目に御堂筋に出てから北に歩くかですもんね。「北極」のアイスキャンデー、「大寅」に「蓬莱」「木村屋」。少し歩いて「平野屋」に「不二家」。なんでか食べもんばっかしですが、なつかしいなあ。そう「宇治香園」のお茶の香りも忘れられない。

荻原 あの雑然とした雰囲気が大阪らしさともいえますね。

井上 洋品店、宝飾、靴、瀬戸物、呉服、楽器、お茶、書店、昆布(こんぶ)、レストラン、ケーキ、喫茶店、それにパチンコ屋など実にさまざまな店があの狭い通りに面してギッシリと詰まっている。一見雑然としているようでいろんな要素を統合しているこの多様性の文化は、大阪そのものではないかという気がするんですよ。それでね、多様性にとって大事なのは、それぞれの才覚・主張です。古いものも新しいものも競い合って主張してこそ張りを感じることができる。心斎橋にはそういう張りのある多様性が感じられる。まさに大阪そのものです。

荻原 いよいよ本題のひとつ「大阪学」に近づいてきましたが、もうすこしご自身のことをお話しください。大学は京都でした。

井上 長男はやはり親の商売継がんとあかんのかなという気持ちもあったんでしょうか、すんなり経済学部を選んだ。けど二男のわたしは気が多いというか、あれもやりたい、これもやってみたいと。根は文筆家にあこがれていたんです。最初は建築家になろうかと。これもアーティストでしょ。工学部を受けた。つぎは医者しながら小説家になった森鴎外にあやかりたいと医大を受験。どれもだめ。それで京大の文学部に落ち着いたのです。

荻原 お父さんの商売は継がなかった。

井上 個人経営の規模でしたからねえ。結局、兄弟はだれも継がなかった。しかし、商人だった父親のそばにいて、商売人の気配りやもてなしなどを見たり、聞いたりしていましたから、「大阪」を考える場合に父親を通して体験したことがベースにあるわけですよ。父親もいろいろなところに連れていってくれましたなあ。

荻原 もしかしたらお父さんもあとを継いでほしかったのでは。

井上 どうでしょうか。わたしの大阪学の原点は心斎橋であり、道頓堀であり、ミナミのかいわいであったわけです。

荻原 では、次はその原点についておうかがいしましょう。