産経新聞 [2004年08月6日 大阪夕刊]
【関西笑談】笑いを学問する(11)関西大学名誉教授 井上宏
聞き手 荻原征三郎記者
荻原 放送局から大学に転身しました。よく決断しましたね。
井上 大学との縁は昭和四十四年から一年間、関西大学の社会学部で非常勤講師を経験したくらいでした。四十七年に関大の方から教員にならないかと正式にお話があったのです。三十七歳で現場の第一線にいて、テレビの仕事も面白いし、悩みましたよ。
荻原 決め手になったのは?
井上 年齢からこれが最後のチャンスだろうし、もう一度勉強し直す好機だ、と決心したのです。退社を申し入れると「なにが不満やねん」と怒られました。いやいや不満なんてありません、といってもなかなか信じてもらえなかった。「やりたいことあるんなら、会社におってやったらええやんか」とまでいっていただいた。ありがたいことでしたが、円満に退社して四十八年四月から関大社会学部専任講師、一年後に助教授、五十六年から教授になりました。昨年退職するまで関大でちょうど三十年過ごしたことになります。うち社会学部二十一年、総合情報学部九年です。
荻原 げすのかんぐりで恐縮ですが、移ったころは収入も落差があったでしょう。
井上 それはありましたよ。かなり落ちました。会社から借金して家を購入したとこでしたしね。けど情報化時代の入り口のような時でもあって、放送局での経験も生かせたのでタイミングがよかったと思っています。社会学部では「放送学各論」「映画学概論」「マスコミュニケーション概論」など、総合情報学部に移籍してからは「社会学」「コミュニケーション論」「情報メディア論」などの科目を担当し、大学院では「情報メディア論」の科目やゼミを担当してきました。
荻原 たしかにこの間、日本のメディアは激変しました。非常勤講師をなさった四十四年といえば、月面からのモノクロ中継映像に興奮したことを今でも鮮明に記憶しています。それからカラーテレビの時代になり、さらにニューメディア時代からマルチメディアの時代、ブロードバンド時代へとめまぐるしく変化していきます。
井上 メディア研究の難しさもそこにあるのです。現状認識なしの研究なんてありえないわけですから研究者は絶えず現状の把握につとめなければならないのです。しかしメディアの技術革新が急で、次々と新しいメディアが登場してきます。変化があまりにも早いので、それを追跡するだけでも大変ですよ。
荻原 あふれかえるメディアに付き合わされる庶民も大変です。
井上 今日のわたしたちの生活を取り巻くメディア状況を見ると、従来型では書籍、雑誌、新聞、地上波テレビ、ラジオ、映画、レコード、カセットテープ、固定電話などでしょうね。それらに加えてニューメディア・マルチメディアとして登場してきたケーブルテレビ、BS・CSテレビ、BSデジタルハイビジョン、放送のデジタル化、パソコン、インターネット、携帯電話、デジカメ、無線LANなどなど数え切れないくらいに多くのメディアをあげることができますね。もちろんテレビもなし、電話もなし、パソコンも持たないという暮らし方をするのも理屈では可能でしょうが、現実にはまず不可能というべきでしょう。現実世界とメディア世界がいかに関連するかが問題です。